想いー優しさ

愛ある限り〜あゆと当麻〜

 

想い―優しさ

 

”すまない。そなたをこの厳しき世に一人残していくことを許してほしい”

亜由美をかばって立ちふさがった時、時の長はたしかにそう言った。慈愛に満ちた声だった。

その声ももう聞こえない。

巨大なエネルギーが二人を襲ったとき、かばいきれないと知った長は自らの腕の中に亜由美をかき抱いてかばった。

手に錫杖が押し付けられる。シャラン、と白銀の錫杖が鳴ったと思うともう時の長、亜須羅の姿はなかった。

「ちぃっ」

と舌打ちして亜由美を狙った敵が退散する。

当麻達が巨大なエネルギーの発露に気づいて舞台となった湖畔に駆けつけたとき、亜由美は錫杖にすがりつくようにして泣きじゃくっていた。

彼は自分を永遠の時の中に置き去りにした張本人。

憎い相手だが、かつてジジ様と慕った愛する者には違いなかった。

憎むことなどできなかった。彼もまた自分の所業を苦しく思っていたのだ。

いつかれるとも知れない涙が頬をぬらす。

いつまでたっても動かない亜由美を当麻は抱き上げてナスティの家に連れ戻るしかなかった。

 

「あゆ」

こんこん、とドアをノックして当麻が声を出す。

が、いつまでたっても返事は返ってこない。

そっとドアを空ける。

亜由美は暗がりの中、ベットの上でひざを抱えて顔をうずめていた。

当麻がためらいがちに電気をつける。

ベットの脇に腰掛ける。

「迦遊羅に聞いた。二日眠っていないと」

答えはない。軽くため息をついて当麻は言葉を継ぐ。

「それに何か口にしないと。あれからまったく食べていないんだろう? そのままでは体を壊す。

何か柔らかいものを食べるか? 伸に粥を作ってもらおうか?」

亜由美は何も言わず、動かない。

まるで世界を拒絶したようだ。

彼女の悲しみは自分達も経験している。かつての師、迦雄須が逝った時だ。

しかし、そのとき彼らは悲しみを共有する友がいた。

だが、亜由美には誰もいない。

わかってやれるとすれば、近い位置にいる当麻か迦遊羅だが、長のことを当麻は知らないし、一時一緒に過ごした迦遊羅でさえもよくは知らない。

正直、代われるものなら代わってやりたかった。

代わってやることが亜由美の身のためにはならないかもしれないが。

「そうだ。重湯を作ってやる。あれは胃にもたれないからな。

お袋によく作ってもらったから作り方を覚えている。待っていろ」

軽い身のこなしでベッドから離れると当麻は部屋を出て台所へ向かった。

当麻は亜由美の顔にあの輝くような笑みを戻してやりたかった。

そのためにならなんだってしてやりたかった。

というよりはその笑みを見たかっただけなのかもしれない。

はじめてみたときから当麻の心を捉えて離さないあの笑み。もう一度見たかった。

覚醒してから亜由美の顔にその輝くような笑みは浮かぶことはなかった。

当然だと思った。気楽になんのてらいもなくどうして笑えよう。

永遠の時の中に置き去りにされたのだ。亜由美の小さな胸は痛み、恐ろしさにさいなまれただろう。

その時、そばにいてやれなかったのが悔やまれた。

あの時は遼達を助けに妖邪界へ行かなくてはならなかったからしかたはないが、悔いが残る。

永遠に死ぬことがかなわない身。体は滅んでも魂だけ生きつづける。

当麻はそのことを亜由美の口から聞いたとき、長を恨んだ。

どうしてそんなひどい仕打ちができるのだ?

たとえ、世界を守るためであっても人の生が思いのままに操られることなどあってはならない。

台所で重湯を作る当麻の手に力がこもった。

何分か後に当麻が部屋に戻った。

「できたぞ。熱いから気をつけて」

食べ物の匂いをかいでふっと亜由美が顔を上げた。

なんてひどい瞳だ。まるで死んだ魚のような目だ。顔にも生気がまったく見られない。

当麻は苦々しくその顔を見つめた。

彼女をこんな目に合わせた奴を殴ってやりたい衝動を押さえて、重湯を手に渡す。

スプーンを手にして重湯を口に運ぶ。

「あつっ・・・」

亜由美が顔をしかめた。

「言ったろう? 熱いと。貸してみろ」

再び、重湯の入った湯のみを自分の手に戻すとスプーンをかき混ぜながらふぅふぅと息をかけてさます。

当麻の優しさに触れて再び、亜由美の頬を涙がぬらす。当麻は優しい。

はじめて出会ったときからそれは変わらない。

当麻のことを優しいと言えば彼は否定するだろう。

優しいのは伸とナスティで十分だ。その後ろにも秀、遼、征士がいる。

別にいまさら自分が優しくする必要はない。当麻はいつもそう言う。

だが、実際彼は優しい。心の底に計り知れない優しさを秘めている。

ただ智性が邪魔をして上手く表現できないのだ。

それでも事あるごとに当麻は亜由美に不器用にも優しく接した。

それは彼にも優しさがあることを知らせてくれた。

頬に伝う涙を見て当麻がギョッとする。

「俺、何か悪い事した?」

動揺してイントネーションが関西弁に戻る。

ううん、と亜由美はかぶりを振る。

「当麻があんまりにも優しいから・・・」

「俺は別に何も・・・」

言いかけて亜由美の顔にはかなげな微笑が戻ったのを見て黙った。

今にも消え入りそうなはかなげな微笑はやがて彼女を失うことを予見しているようで気に食わなかったが、それでも瞳に少し力が戻ったのを見て納得した。

「もう。大丈夫だろう。気をつけて口に運べよ」

湯のみを亜由美の手に戻す。

亜由美は重湯を少しづつ乗せてスプーンを口に運ぶ。

重湯の暖かさが胃にしみわたっていく。まるで当麻の優しさのようだった。

涙をこぼしながら重湯を飲んだ。

その様子を当麻が静かに見守る。

やがて中身のなくなった湯のみを受け取って当麻がサイドボードに置く。

「当麻」

澄んだ声が当麻を呼んだ。

なんだ?、と当麻が答える。

亜由美はううん、と首を横に振る。

「ただ、呼んでみたかっただけ」

本当は好き、と告げたかったがそれは音にならなかった。

言ってしまえば、もう当麻から離れられなくなる。

久しぶりに亜由美の顔に嬉しそうな笑みを見つけて当麻が思わず亜由美を抱き寄せる。

彼女の体は軽く、今にも壊れそうな繊細なガラス細工のようだった。

壊させたくない。守ってやりたい。何もかもから守ってやりたい。

そんな気持ちが当麻の中にあふれた。

この少女はまだ何も知らない。戦いがどれほど凄惨なものか、つらく、厳しいものか。

あんな思い、誰にさせたいと思うものか。

そしてそれが亜由美の汚れのない、そして脆く傷つきやすい心を壊すようで当麻は怖かった。

「俺が守るから。守ってやるから」

だから、壊れるな。

かき抱く腕に少し力をこめて祈るように当麻が呟く。

その言葉は亜由美の心を切なくさせた。

阿羅醐との戦い終えて当麻はまだ疲れている。

彼を再び戦禍の中へ巻き込みたくはなかった。

もし、彼の優しさに答えることができるならそれは一人で戦いに赴くことだと亜由美は考えていた。

一人で行けばきっと当麻は怒るだろう。

一人で行くことは間違っているかもしれない。

だが、そうすることしか亜由美にはできなかった。

もしかしたら、もう会えないかもしれない。

この声もぬくもりも顔も姿もなにもかも目にすることも触れることもできないかもしれない。かもしれない、ではなくてそれが事実だ、と亜由美は心の中で訂正した。

生まれて初めて戦いに赴くのだ。

ただ感と継承された力だけを頼りに動くのだ。自分を導いてくれる存在はもういない。

死んでしまうかもしれない。

それに無事に戦い終えたらきっと時の流れを見守るために空の向こうに行かなくてはいけないのだと漠然と知っていた。

それが時の長の役目。

そうやって時の長は世界を見守りつづけた。

それに、当麻はもう十分私を守ってくれた。

今度は私が当麻を守る番。

亜由美の心には強い決意が秘められていた。