真夏のファントム1

 

「それでは兄様。お盆には帰ってこられるの?」

携帯電話の向こうから妹の五月が征士に問うた。

「いや、十五日はこちらで用がある。だから迎え盆の頃にでも一度家へ戻るつもりだ。家を空けて久しいからな。皆のことも紹介したい」

「あの、兄様・・・」

ためらうような妹の声。

聞き返すと、なんでもない、と否定する。

「そうか。それでは、元気で」

そう言葉を締めくくって、征士は携帯を切った。

物事をはっきり言う妹らしくない発言をいぶかしく思うも、その時は別に大して気に留めなかった。

言い間違うときもあるだろう、と思って。

以前の征士なら物事は要領よく明快に、と意見するところだが遼たちと出会ってからはそういう事も別段気にしなくなっていた。

 

その日。征士は食卓の席で帰省のことを告げた。

「それで皆も一度、来てみてはどうかと思ってな」

「お邪魔にならないかしら?」

ナスティが心配そうに聞く。

「いや。皆がくれば家族も喜ぶだろう」

春にナスティの気持ちを聞いた征士はナスティをこっそり家族に引き合わせてみようかと考えていた。

それとなく当麻に相談してみたところ、皆と一緒に会わせたほうが不自然でなくて良いのではないかと言われた。

なるほど、と納得していた所にちょうど妹からの電話があったのだ。

「僕は構わないよ。今年ぐらいは法事に出ないでのんびりしてみたいからね」

今年、東京に出てきた伸が言う。

「俺達も別に構わない」

当麻が答え、脇に座る双子を見やった。迦遊羅ともう一人の少女、亜由美が顔を見合わせる。もともと血がつながっていない二人だが因縁浅からぬ仲にして双子ということで世間には通していた。

顔つきも良く似ているし、年も似たり寄ったりだった。

どう区別をつけるかというと、前髪をきっちり切りそろえたほうが迦遊羅。一方、ワンレングスの髪が亜由美。だが、二人とも長い髪を頭の高い位置で結わえている。

ややこしい限りだが、もうひとつ見分ける方法がある。

亜由美は普段メガネをかけている。度は入っていない。昔は極度の近眼だったのだが、覚醒時にそれが回復していた。

今やメガネは力の自動制御装置のようなものだ。

どうした?と暗に当麻が問い掛ける。

「十四日までには帰れますか」

皆の視線が切り出した迦遊羅に集まる。

「実は・・・十四日に遼とお会いする約束をしていて・・・」

言いにくそうに迦遊羅が言う。

「なぁんだ。それなら、いっそ僕達が行っている間も遼のところへ行ってきたら? 構わないよね? 保護者殿」

伸が問題なさそうに言って当麻を見る。当麻は彼女達が東京にいる間の保護者役だった。当麻と亜由美が遠縁の上、親が決めた許婚同士だったからだ。

つまり、当麻が保護する限り東京の滞在を許されているのだ。

「ああ。いいだろう。遼の事だから、間違っても迦遊羅を襲うまい」

一も二もなく当麻が承諾した。遼も安心されたものである。

「当麻じゃあるまいし」

伸があきれたように言う。

「なにぃ。俺がいつ襲ったって?」

「二人とも!」

言い争いをはじめそうになった当麻と伸をナスティがたしなめる。

「それじゃ。迦遊羅は遼のところへ行くとして、私達は征士のところへお邪魔するわ。よろしくね、征士」

ああ、と征士が頷く。

テーブルの向かい側から当麻が小さく口だけを動かしてよかたな、と言う。

征士も小さく頷いた。

 

「ただいま、戻りました」

夏のよく晴れた日。征士は皆を連れて実家の門をくぐっていた。

「久しぶりです。征士。元気を続行していましたか?」

出迎えた姉の弥生が問い掛ける。

「はい。姉上も元気そうで何よりです」

時代劇がかった会話のやり取りに当麻達が目を丸くしている。征士は後ろで棒立ちになっている四人を紹介した。

「彼女が私がお世話になっているナスティ・柳生さんです。その隣がいっしょにお世話になっている友人、毛利伸と羽柴当麻です。その隣が当麻の許婚の河瀬亜由美さんです」

矢継ぎ早に紹介されて皆、頭を下げる。

「遠いところをわざわざようこそおいでくださいました。何もない家ですが、どうぞゆっくりしていってくださいませ。あいにく、父と祖父は外出しておりまして夜には二人とも戻ると思います」

弥生がにこやかに会釈して皆を家に案内する。家、というよりはどちらかといと屋敷というほうがふさわしかった。

ぞろぞろと六人が歩く。最後尾についている征士に当麻が言った。

「お前んちの姉さんってダイ姉ちゃんみたいだな」

「なんだ、それは?」

眉根を寄せて征士が問い返す。

「ぼのぼのっていう漫画の話」

あほか、と征士がつぶやく。許嫁の亜由美が無類な漫画好きとあってか当麻も妙な知識を持っていて時折、征士のわからないことを口走る

言ったな、と言って当麻が征士を羽交い締めにする。

「こら。何をする。ここは東京とは違うのだぞ」

「入れ知恵をしてさしあげたのはどこの誰だったかなぁ?」

面白そうに当麻が小声で言う。

慌てて抗っていましめを解こうとするがなかなかしつこい。

「当麻。征士。何をしているの?」

振り返ったナスティがたしなめる。それを聞いた弥生が振り向く前に当麻はいましめを解いていた。

要領のよい奴だ。

征士が慌てて居住まいを正す。別に姉が怖いわけではないが、長年の習慣は治らないものである。

おもしれぇ、と当麻がつぶやく。

後で覚えていろ、と征士は凄みのきいた声で当麻にすばやくささやくとさっさと家の中に入った。

弥生は客室へ皆を案内する。

ずかずかと歩いて先頭のナスティの脇に並ぶ。当麻のそばにいては何をされるかわからない。

いっそ、ナスティ達に近いほうが無害だ。

「やはり、こんなに大勢で押しかけて大丈夫かしら?」

ナスティが小声で征士に問う。

「心配ない。大して大きい家ではないが部屋数だけはナスティの家に引けをとらないからな」

家と呼ぶには大きく、屋敷と呼ぶには小さいという微妙な伊達家であった。

いくらも歩かないうちに妹の五月と出会う。

「兄様。お帰りなさい」

「妹の五月だ」

「こんにちは」

きっちり切りそろえられたおかっぱ頭を五月は律儀に下げる。

征士に似た端正な顔立ちの二姉妹と征士を見た当麻は思わずアイアン三人衆と名づけていた。

アイアン・レディ、サッチャー首相を思わせたからだった。

あるいはシベリア寒気団だな、と一人ごちる。

別段彼女達が情に薄いと思うわけではない。それを言うなら当麻のほうが冷たいかもしれなかった。

ただ、一瞬寒々としたものが三人の会話に漂っているのを想像してしまったのである。

これでも私の家族なのだが、と後に当麻から聞いた征士はこう言った。

「兄様。あの・・・」

「なんだ?」

通り過ぎようとする征士を五月が呼び止めた。征士が振り返る。

「やっぱり。なんでもない」

そう言って五月は足早に去った。

「おかしな奴だ」

そうつぶやくと征士も部屋に荷物を運んだ。

観光に回るには中途半端な時間だったので皆、思い思いの時間を過ごす。

ナスティが弥生や母と楽しそうに歓談していたのを確認して征士は安心する。心配は取り越し苦労かも知れない、そう思いながら裏庭に出ると実家に残していた盆栽達をいとおしそうに眺めた。

「元気だったか?」

盆栽の一つ一つに声をかける。今は征士の分も祖父が管理している。

「いい家だね。風情があって。いい家族だよ。お父さんとお祖父さんも良い人なんだろうね」

後から来た伸が言う。

そうか、と征士が微笑み返す。

「しかし、当麻などはさっき私達兄弟のことをアイアン三人衆とかシベリア寒気団と言ってのけたぞ」

「う〜ん。言いえて妙かも」

伸がうなる。

「でも、どちらかと言うと僕は征士の家族に凛としたものを感じたけれど?」

「当麻に伸のその感性のかけらでもあれば良いのだが」

征士が顔をしかめて言う。

「ナスティもうまくやっていけると思うよ」

出し抜けに言われて征士は驚く。

当麻が話したのだろうか?

だが、伸はそれ以上は何も言わなかった。ただそう思ったらしい。

一方、当麻は表庭の縁側に腰をかけて庭を眺めていた。

平和だなぁ〜、と一人つぶやいて伸びをする。

そこへ亜由美がやってきてためらいがちに立ち尽くす。

「座れば?」

当麻が何気なく言って亜由美が隣に腰掛ける。

浮かぬ顔をしている亜由美に気づいた当麻は気遣わしげに視線を送り、「あゆ」と名を呼ぶ。

「五月ちゃんね・・・」

亜由美は切り出した。

「さっきまで話していたのだけど、何かにおびえているみたいなの。なんて言うのかな。

ほら、ちょっとした拍子にびくっとすることがあるでしょう? それがとても多くて。

今の五月ちゃん、そんなかんじだったの。さっき征士を呼び止めたのも何か言いたいんじゃないのかな」

「何か感じたのか?」

真剣な面持ちで静かに問う。こう言うとき当麻は笑い飛ばさない。亜由美は性格上なのか性質上なのか、もって生まれた運命のせいかもしれない。とにかくそういう事を敏感にかぎ分ける。

「うん。あることもないけれど。でもこの家の守護が強いからそんなに影響は出ていないみたい。ただ五月ちゃんは敏感なんだね」

「お前さんもでしょうが。どっからそんなに厄介ごとを見つけてくるんだ?」

苦笑してくしゃっと亜由美の髪をなでまわす。

「征士にはまだ言わないほうがいいな。五月ちゃんも言いたくなったら言うだろうから。

俺も気をつけておく。無茶はするなよ」

「しないって」

今度は亜由美が苦笑いする。

「お前のその言葉は世界で一番信用できん」

遼が無茶大王ならさしずめ亜由美は無茶女王と言ったところだった。

その性格のせいで亜由美自身、何度、命を落としかけたか。向こう見ずと勇気とは違うと説いて見せても効果はなかった。

きっぱりと言い放つ当麻に亜由美がひどい、と口を尖らせた。

いつもと変わらない表情を見て当麻がほっとしたかのように微笑う。仙台に来る直前、どこか漂っていたぎこちない雰囲気がようやく解ける。

「ほら。庭でも見て回ろう。そのうちに夕飯だ」

立ち上がった当麻が手を差し伸べる。うん、と言って亜由美はその手をとった。

 

その日の夕刻、征士の家族を前にして当麻は心中でうなった。

厳格な祖父。静か過ぎる父親。意思の強そうな母親。きっちりとした姉と妹。

そのすべてが征士に集大成されていた。

遺伝は偉大だ。

そう思いながらおかわりする手は決して止めず、その勢いの良さに伊達家の者に気に入られてしまった。

 

「征士。今日、五月ちゃんといっしょに休んでもいい?」

征士の祖父と父を除く皆でトランプに興じていたとき亜由美は言った。

「いろいろ仙台のことを聞きたいの」

小首をかしげてじっと征士を見る。願い出る形をとっているが、有無を言わさぬ光が彼女の瞳に宿っていた。

こういうときの亜由美に逆らわないほうがいいのは征士も経験上知っていた。

当麻を見ると肩をすくめる。

「構わないが、夜更かしはせぬようにな」

「ありがとう」

うれしそうに礼を言うと亜由美は再びテーブルの上のトランプに目をやった。七並べなのだが、亜由美の続きのカードが出せない。

ちょっとぉ、と声をあげる。

「とーまがトランプをとめてるんじゃないでしょうね?」

ちろん、と当麻を一瞥する。

さぁな、と当麻が視線をはずす。

「実は僕だったりして」

いたずらっぽい笑みを浮かべて伸が言う。

「あら。私かもよ」

ナスティも楽しそうに笑う。

うーっと恨めしそうに亜由美が皆を見回す。

しゃーないなぁ、と当麻の口から関西弁が飛び出した。

「助け舟を出してやるか」

すっと一枚のカードを出す。亜由美はようやく何度目かのパスを免れてカードを置いた。

やっぱり、と言って亜由美が当麻に肘鉄を食らわす。

「実は私もだ」

至極真面目な顔をして征士がカードを出す。

「私もなのよ」

ナスティがカードを置く。

「僕も」

伸も置く。

「ひどっ」

亜由美が悔しそうに言う。どうやら鴨にされていたらしい。世に言うスケープゴートだ。

「ゲームなんだから頭を使え、頭を」

こつんと当麻が亜由美の頭をこづく。

「まったく。こんなに頭の悪い人間に教育したつもりはなかったんだがな。どこでそんな風に育ったんだか。『かゆ』の方が頭がいい」

当麻がぼやく。「かゆ」とは迦遊羅の呼び名である。

ふん、と亜由美がそっぽを向く。

ナスティ、伸が征士までもが笑いをかみ殺している。

その様子を見て征士の母が言う。

「征士。良い友達を持ちましたね」

「楽しそうで何よりです」

弥生も言葉を継ぐ。

はい、と征士は微笑んだ。

結局、亜由美はゲームが終わるまで鴨にされ続け大敗を期した。

以来、トランプなんてしない、が彼女の口癖になった。

 

夜、五月が飛び起きた。

それを知っていたかのように亜由美は身を起こすと大丈夫?と五月を抱き寄せた。

五月は何も言おうとしなかった。

亜由美はただ、優しく抱いていた。

暖かさがゆっくりと伝わってくる。

人の温もりがずっと押し黙っていた五月の硬い口を開かせた。

「怖い。・・・何かがいるの。黒い、犬のような何かがこの家を狙っているのっ・・・。

お祖父様や父様、母様、姉様、兄様を襲うのっ。ただの夢の中の出来事なのにっ」

亜由美の腕の中で五月は唇をかみしめる。ぎゅっと閉じたまぶたから涙がこぼれる。

泣きたくなんかなかったのに。それは伊達家の家風ではない。

五月の肩をなでながらやさしい声で亜由美が言う。

「明日。お兄ちゃんに相談してみない? きっと征士が解決してくれる」

「兄様が?」

五月が驚いたように顔を上げる。

何もかも知っているかのように力強く亜由美が頷く。

「さぁ。もう大丈夫。私が起きて見ててあげるから、ゆっくり休んで。最近ずっと眠れていないのでしょう?」

どうして知っているの?と五月が目で問う。亜由美が五月をあやすように体を揺らす。

「一度だけならそんなに怖くないでしょう? 

でも、きっと何度も見ているからそんなに怖い思いをしていると思ったの」

暖かな声が五月に安心感をもたらす。

不思議な人だ、と五月は眠りに引き込まれながら思った。

子供っぽいかと思えば、とても大人っぽくなる。

どちらが彼女なのだろう? きっとどちらも彼女なのだろうと五月は思った。

腕の中で五月が眠りにつくと亜由美はそっと五月を布団に寝かせた。

それから瞳を閉じて部屋の周りに結界を張る。

力をあまり使いたくはなかったのだけど。当麻に叱られるから。

でも、こんなに怖がっているんだから少しぐらいいいよね?

「もう、怖くなくなったよ」

小さな声でささやくと亜由美は五月の髪をなでつけ続けた。

 

翌朝、五月は久しぶりに悪夢にうなされずに起きた。

目覚めた五月を亜由美がやさしく見下ろしていた。

「眠らなかったの?」

「さっき、起きたところ」

亜由美が微笑む。

うそ、だ。

五月は直感的に思った。

枕にしわがない。

この人はずっと見守っていてくれたのだ。

ごめんなさい、と謝罪が口に出る。

「どうして謝るの?」

きょとんとして亜由美が問う。

だって、と口を開いたその時、ふすまの向こうから征士が声をかけた。

「五月、あゆ。起きたのか? もう当麻も起きているぞ」

えっと五月が驚いて時計を見る。朝食の時間はとっくに過ぎていた。

「さぁ。朝ご飯、食べて仙台案内してね」

亜由美がにこっと笑った。

「それにしても珍しいな。五月が寝坊するとは。夜更かししたのだろう」

征士が微笑む。

五月はそれを見て兄はこんなにやさしげであっただろうかと驚いた。東京での兄はどんな風だろう? 

ふっと知りたくなった。

「お前んちは異常だっつーの。朝の五時から一家そろって剣道なんて」

征士の家族は一人残らず、剣道をたしなんでいる。

祖父は当然の事ながらであるし、父は警察官としてたしなんでいる。

母は師範代であるし、娘の弥生もそれに続く。もちろん、五月も例外ではない。

幼いころより竹刀を握っていた。今朝は起きることができなかったが。

朝食を食べる二人を見ながら頬づえをついていた当麻が不機嫌そうに言う。

当麻もそれに付き合わされたらしい。寝起きの悪さを引きずっているのを見ると一目瞭然だった。

「たまには早起きもいいんじゃない?」

昨夜の恨みをはらすかのように亜由美がにんまりして言う。

「お前。喜ぶなよ。せっかくののんびりカントリーライフを何が悲しくて早起きしなくてはならないんだ」

「郷に入っては郷に従え」

征士と亜由美の声がはもった。

「意見が一致したようだな」

亜由美が頷く。

「お前ら〜。結託するな」

五月は三人の会話を黙って聞いていたが、笑いがこみ上げ、声を出して笑った。

征士が驚いたように五月を見る。

「ごめんなさい。あんまりおかしかったから」

笑いをこらえて五月が謝る。

「いや、良い。五月も声を出して笑うこともあるのだな」

なにやら征士は感慨深げである。父親の心境だろうか。

「どうしたの? なんだか楽しそうだけど?」

伸が声を聞きつけてやってくる。

「しんー。聞いてくれよぉ。こいつら結託して俺をいじめるんだぜ」

征士と亜由美をびしぃぃっと指差した後、すんすんと泣きまねをして伸にすがる。

伸はよしよし、と形だけ慰めてぽいっと当麻を放り出す。

「ぐれてやるー」

ナスティーと言って当麻が出て行く。それを聞いた征士がむっと眉を上げる。

「おい、当麻」

征士が後を追う。

「やれやれ。征士も当麻もこまったちゃんだね」

伸が肩をすくめる。

亜由美は不機嫌そうに最後の白米を口に運んだ。

五月は不思議そうに伸と亜由美を見、当麻と兄の出ていった後を見た。今の会話の中に何か含みがあるらしい。

「食器。僕が洗うよ。あゆは出かける用意をしておいで。五月ちゃんのも洗ってあげよう」

二人分の食器を引き受けた伸は五月に近づくといずれわかるよ、と言った。

五月が伸を不思議そうに見上げる。

しかし伸はそのまま何もなかったかのように食器を運んでいった。