真夏のファントム3

愛ある限り~あゆと当麻~

 

真夏のファントム3

 

今朝も早朝の剣道につきあわされてやや不機嫌な当麻は亜由美の泣きはらした目を見てぎょっとしたと同時に極度に不機嫌になった。

「目」

とすごみのある声で当麻が亜由美に尋ねる。

「なんか、かゆくってかいてたらこうなっちゃった」

てへっ、と亜由美は悪びれもなくうそをつく。なんと言われても泣いていたと言う気はなかった。昨夜、ようやく気持ちを納めて五月の部屋に戻ると五月は何も言わず、目薬を取りに行き、冷やしたタオルを持ってきてくれた。

それでかなりましになったのだが、つき合いの深い当麻のこと、すぐにその異変に気がついていた。

平然とうそをつかれて当麻はなんともいえない気持ちになる。以前から亜由美が泣くのは自分の前だった。誰よりも最初に涙を拭いてやるのは自分だった。その亜由美が自分一人で泣いていた。彼女は今一番つらい想いをしているのだろう。一番辛いときに限って誰にも甘えない。そういう性格なのだ。何もしてやれなかったいらだち感、信頼してもらえていないと言う失望感、そして亜由美が本当に離れようとしているという恐怖が当麻の胸で渦巻いた。近い内に話をつけないといけない。

亜由美を一人きりには出来ない。きっと今度こそ、本当に消えてしまう。初めて亜由美が戦いに赴いたときの事がありありと思い出される。亜由美はその直前とても明るかった。いつも以上に明るく元気だった。今もそうでないとは言えない。何でもないようなふりをしている。泣いていても泣いていないと嘘をつく。

よくない前触れだと当麻は思った。嫌われているならまだいい。だが、嫌われているわけではない。手を伸ばせば手を取るし、抱きしめてもあらがわない。キスさえ拒まない。何度も嫌いではない、とも聞いている。一度、嫌いなのか? と聞こうとした矢先に亜由美が唇を押しつけてきた事さえある。

亜由美の気持ちは明らかだ。自分を好いている。その確信はあった。だが、何かがふたりをすれ違わせていた。好きなのに想いが重ならない。二枚の紙はぴったりと重ならず、ずれていた。それが最近の二人にぎこちない雰囲気を醸し出していたのも事実だ。

「もうかゆくないのか?」

まだ不機嫌な声で当麻が尋ねる。これが人前でなければ飛んでいって抱きしめてずっと離さないのに、と当麻は思う。

うん、と亜由美は明るく答える。

「五月ちゃんに目薬借りたから」

当麻はしかたなく納得する。今、問いつめても何も話さないだろう。それに今、征士の件がある以上話をややこしくしたくないし、この件に関して亜由美自身離れる予定はないだろう。

「汚い手で目をかくなよ」

当麻はそれだけ言うと朝食を食べ始めた。

いつもはお代わりを際限なくする当麻もさすがに食欲がわかなかった。

お代わりを二杯にとどめて当麻の具合が悪いのではないかと征士達にいじくりまわされ当麻は不機嫌を爆発させて逃げ出した。

「当麻?」

必死に逃げまどって庭にたたずんでいると亜由美がやってくる。

この二人はどこにいようともお互いの場所がほとんどわかってしまう。

「大丈夫?」

亜由美の本当に気遣わしげな瞳を見て当麻は声を上げそうになった。

なんで、泣いていたんだ?と。

どうして俺の所の来なかった?と。

その代わりに急に手を伸ばすと亜由美を引き寄せ抱き寄せる。

「あゆ」

とただ名を呼ぶ。

当麻は泣きそうになる自分を必死に抑える。離したくない。

離れたくない。愛している。想いがあふれる。

「好きだ。あゆ」

当麻が自分を抑えながら言うと亜由美はうんと言って当麻の背中に手を回す。

そっと優しく上下させる。まるで安心して良いよ、と言うかのように。

だが、それも一時的なものなのは二人ともどことなくわかっていた。

それでも今、二人は共にいる。

「どっか、しんどいところがあったら言ってね。治してあげるから」

亜由美が優しい声で言う。

「自分の事はちゃんとわかってるから」

当麻が平然とした様子で淡々と答える。

その様子に亜由美は心を痛めた。きっと当麻は自分のことで困ったのだ。

食欲がなくなるほど・・・。一体どうすればいいだろう? 自分が消えれば全てうまく行くと思っていたのに自信が揺らいでいく。自分がいなくなった後の当麻はどうなってしまうだろう? 元気ないつもの当麻に戻ってくれるだろうか? 幸せになってくれるだろうか? 様々な疑問がわき出る。

でも、自分が当麻を幸せに出来る確率は限りなく少ない。

その危険な確率にかける勇気は今の亜由美にはなかった。

逃げ出すことしかもう頭にはなかった。

「嫌って・・・ないよな?」

当麻が小さく呟いて亜由美は絶句した。

なんと言ったらいいの? 嫌いと言えばいいの?

長いような短いような時間を経て亜由美は消え入るような声で告げた。

「・・・ないよ。嫌っていないよ・・・。ごめんね」

亜由美はあふれそうになる涙を必死で堪えた。

今、泣いてしまったら今度こそ問いつめられてしまう。何もかも話してしまう。今の自分はそれほど弱い。

「だったら・・・良いから。俺はいつでもあゆを愛してるから」

当麻がまた呟いて亜由美を抱きしめる腕に力を込める。

うん、とまたそれだけ亜由美は答えた。

 

ふぅ、とため息をついて亜由美は廊下を歩く。

悪気は日に日に増してくる。

家の中は雑鬼でたくさんになっている。

まだ実体化していないけれどいずれそうなる。

このままでは、五月ちゃんが本当に参ってしまう。

見えても退けられたら問題ないのだけど。所詮、無理な話。

力などあったらあったで困る代物。

「征士。話があるのだけど?」

ふすまを開け、声をかける。

征士は文献を読みふけっていた。

床に積み上げられた文献。その壁際には刀が何本も飾られていた。

「壮観ね・・・」

思わず、声が出る。

「何かあったのか?」

征士が振り向く。

「そうじゃないのだけど・・・・」

そう言って再びため息をつく。

「この屋敷にだけでも結界を張ってはだめ? このままでは五月ちゃんが参ってしまう。

お盆やこの家に差し向けられたものやいろいろな要因が重なって、家の守護が弱っているの」

それによって何が見えるかは言っても仕方がないから省略した。

「私の一存では決められない。当麻に聞かなくては」

「なんで当麻に聞かなくてはならないの?」

むっとして尋ねる。

「当麻から頼まれているのだ。あゆに首をつっこまさせないようにと。

当麻はあゆを案じているのだ。その気持ちをふみじにることなど私にはできない」

律儀に征士が答える。

額に手をやる。ずきずきと頭が痛くなってきた。

「あの、当麻が許すはずがないものね・・・」

さて、どうするか。黙って、やるか。それとも別の方法を考えるか。

考え込んだその時、悲鳴が聞こえた。

五月ちゃん!

亜由美と征士は部屋から飛び出した。征士が出かけに刀を一振りもって出る。

声の元に一目散に駆けつける。

暗い、廊下で五月はうずくまっていた。

征士の母や弥生が心配そうに五月に声をかけているが五月は身動き一つしない。

亜由美が抱きかかえる。そうするだけで亜由美と五月のまわりから雑鬼がすっとよけていく。

「怖がらないで。大丈夫だから」

五月はがたがた震えるえて亜由美にしがみつく。

亜由美は征士に目配せする。理解した征士が母や弥生に大丈夫だからと言って、部屋へ戻らせる。

三人だけになってから亜由美は言葉を発した。

「五月ちゃんは本当に見鬼なのね」

軽くため息をつく。

けんきとは何だ?」

征士が問う。

「いわゆる鬼を見る力。悪いものを見てしまう力ね」

「それならあいにく、私も見えるのだが」

その声に驚いて顔を上げる。

征士が前髪をかきあげ、右目が見えた。

「征士。・・・その目」

「うむ。やはり、わかるか」

征士が前髪をおろす。

征士の右目はラベンダー色に輝いていた。

尋ねようとして腕の中で五月が怯えているのを思い出す。まずはこの子をなんとかしなくては。

ただ敏感なだけなら問題ない。けれど、見鬼として能力を発揮し始めている。

それでは今は守れても、いつかまた怖い思いをする。そうならないためには対処法を知るのが一番だ。

五月ちゃん、と亜由美は強く名を呼んだ。

「顔を上げて。今から聞くことを良く聞いて。あれが見える?」

さししめしたところには雑鬼が固まっている。

一旦顔を上げた五月が再び、顔を亜由美の胸にうずめる。

「怖がらないで。あれ、は五月ちゃんに「何も」できない。所詮は目に見えないもの。

本当に怖いのは生きている人間。憎悪や悪意で人を傷つけられる人間が一番怖いものなの。

そしてそれを退けられるのも人間 この世で一番強いのは生きている人間なの。わかる?」

そこで一拍間を置く。

「あれは、五月ちゃんに、「何も」、しない。だから怖がらなくていい」

一言一言区切るように言葉を言う。

五月の震えはとまったようだ。だが、やはり急に心構えなどできるはずはない。

「ともかく部屋に戻りましょう」

立ちあがらせて歩かせようとするが怯えて動けないようだった。

「私が連れて行こう」

征士が五月を抱き上げようとしたとき、五月が怯えたまなざしを征士に向けた。

いや、正確には征士の肩を見た。

亜由美はさっと征士の肩を払う。

雑鬼が払われる。

五月が驚いて亜由美を見る。

「ほら。こんなにたわいのないものなの。怖がるのもばかばかしいでしょう?」

にこっと笑う。

「だけど・・・確かにうっとうしいわね」

亜由美は静かに目を閉じる。しばらくの後にまぶたをカッと開ける。どぉんという地響きが家を突きぬけた。

征士も五月もぽかんと口を開けている。端正な顔つきの兄と妹が珍妙な顔つきで亜由美はくすりと笑ってしまう。

「何が起こったのだ?」

雑鬼はすべて払われていた。

「ちょこっと気合を飛ばしただけ。もちろん力を使ってなんかいない。征士の得意技と一緒だと思うわ。

ともかく五月ちゃんの部屋に行きましょう。あそこなら絶対に大丈夫だから」

亜由美はそう言うとすたすた歩き始める。

征士が驚きを隠せない様子で後に着く。

五月に部屋に入った征士は驚いた。

なんと澄んだ清らかな空間だろう?

五月を抱いたまま部屋を見渡す。

「征士にはわかるのね」

五月を降ろしながら征士は亜由美を見る。

「そう。結界を張ってあるの。この部屋の周りだけに、ね。これは最初の晩に張ったの。

当麻に釘を刺される前だから安心して。それ以後は何もしていないわ」

言いながら、亜由美も畳の上に座る。征士は五月を抱えるようにして座っている。

「当麻は知っているのか?」

亜由美が頷く。

「それで、征士のその目のことだけど?」

今度は亜由美が尋ねる番だった。

「この目はあゆが見た通りだ。この右目は見えないものを見る。それだけならいいが、時折ラベンダーの色に変わることがあってな。人に知れるといろいろ騒がしいのでこうして前髪で隠しているのだ」

「その前髪の向こうには目玉の親父が隠れているかと思ってた」

亜由美がくすり、と笑う。

「当麻と同じ事を言わないでくれ」

征士が少し不機嫌そうに言う。

「当麻が?」

亜由美が驚く。

「当麻とあゆは本当に思考が似ているのだな」

今度は征士がおかしそうに笑う。

やめてよー、と亜由美がおもしろ半分、嫌がって言う。

五月は二人のやり取りにあっけに取られていた。

この二人はあれが怖くないのだろうか?

嫌な気を発するあれを。

見えないならともかく見えているのに。

ぽかんと見上げている五月に征士が微笑む。

「どうした?」

「兄様もあゆも怖くないの?」

「勿論。あんなものなど、所詮大した物ではない。あゆが言っていただろう? 

本当に恐ろしいのはああいったものを生み出す人の心なのだ」

五月が亜由美を見ると亜由美も笑って頷いていた。

亜由美と征士を見ていると五月の中になぜか急に力が沸いてくる。

「ともかくこの状態を改善しなくちゃね。うっとおうしいったらありゃしないから」

うつむき亜由美が考え込む。

「この結界を広げ・・・られないか」

言いかけて征士が頭を振るのを見てあきらめる。

「私は約束をたがえるつもりはない」

その他に方法は・・・。

「式を配置させてもいいけれど・・・力を使っていないと言ってもわかってもらえそうにないし・・・。

やっぱオーソドックスにこれかなぁ」

一人、亜由美はぶつぶつ言う。

「あゆ?」

征士が怪訝そうに問いかける。ふいに亜由美がニッと笑う。当麻とほぼ同じ仕草だ。

夫婦は似てくると言うが、そうでなくても長年ともにいるとこうまで似るものなのだろうか?

征士は妙に感心する。

「私が何もしなくても別の人が代わりにしてくれたらいいのよね?」

「私、か? 私一人で結界など張れないぞ」

征士がひるむ。

「できるのよ。道具さえあれば、ね」

亜由美は平然と言ってのけた。

 

当麻は図書館近くの喫茶店でナスティと昼食を取っていた。

サンドイッチをぱくつくがどこか勢いがない。

もごもごと食べながら当麻は唐突にナスティに問いかけた。

「ナスティは将来に不安はないのか?」

ぶしつけとも思える質問にナスティは微笑んで答える。

「ないわ。あたしは征士を信じているから」

日本の名門家に嫁ぐことにもなるかも知れない事に不安ではないナスティが不思議だった。自分は亜由美との将来に大きな不安を抱えているというのに。

「それに。今のあたし達はお互いが好き。それで良いと思うの。現在を大事に生きなければ、未来を幸せに生きることなど出来ないわ」

ナスティの何気ない答えが当麻の胸の中にすとんと落ちた。

大事なのは今。今を大事にするから未来がある。

俺とあゆの今を大事にすれば未来は来るだろうか?

当麻は物思いに耽りそうなのをあわてて止める。

今は人生論を話している場合ではない。

「それで、話は変わるけど、珍しい記事を見つけたんだ」

当麻は記事のコピーをナスティに指し示した。

 

「ここでいいのか?」

亜由美が頷く。

征士は屋敷の一角に四つ目の小皿を置いた。小皿には塩が盛ってある。

五月の部屋で亜由美はこう言った。

急いで塩釜神社から清めの塩をもらってきてくれる?

征士はわけのわからぬまま塩釜に行き、言われたとおりにした。

その後、戻ってきたら今度は小皿に盛って屋敷の四隅に置くようにと言った。

不思議そうな五月と征士に亜由美はこう言った。

塩は邪気を払う力があるのよ。本当にオーソドックスな方法だけど。ここが仙台でちょうどよかった。

塩釜の塩ならきっと効果あるから

屋敷に戻る途中、亜由美は言った。

「このこと、当麻に黙っていてほしいの。何もしていないけれど、念には念を押したほうがいいから。

私が何か言っただけで当麻は怒るだろうから」

亜由美は怖そうに肩をすくめた。実際は怖がってなどいないのだろうが。

屋敷の中に戻ると居間に当麻達が戻ってきていた。もう夕刻だった。

当麻は征士と亜由美が一緒のところを見て眉をひそめ、思わず立ちあがった。

「何かあったのか?」

「いや、何も」

征士が答える。

「それならいいが。調べはついたのか?」

「いや、当麻達は?」

「興味深い記事を見つけた」

当麻がやおら言って記事のコピーを取りだした。

「動物の虐殺事件・・・ね」

のぞき込んだ亜由美が呟く。

首を突っ込んできそうな亜由美に鋭い視線を送るが亜由美は一向に気にしない。話を聞くぐらいなら大したことはないだろうと思っているのだ。

「僕もその話を近所の人から聞いたんだよ。犬が惨殺されて首から下しか見つからなかったって」

伸がようやく手にした情報を披露する。

「惨殺された首のない犬・・・と五月の夢の犬とどう関係があるのだろう?」

征士が首を傾げて考え込む。

「犬神、じゃないかと思うの。もしかして見当違いだったら申し訳ないのだけど。この家は今、呪われているんじゃないかしら?」

さすがは伝奇学者の孫娘だ。ナスティはそう言った視点も持ち合わせていた。

当麻はそっと亜由美の顔を見ると神妙な顔つきをしている。

当たっている、というわけか。

当麻は一人心の中で呟く。亜由美にはほぼ何かが分かっていたようだ。

「それで明日は呪いについてと呪詛返しを調べようかと思うのだけど、もっとてっとり早く誰かにお祓いを頼んだ方がいいのかしら?」

ナスティがそう言うと堅く閉じていた亜由美の口が開いた。

「他の人じゃだめ。たぶん、伊達家の人でないと返せない。呪物の在処を探すのが先決だわ」

自分なら返せるかも知れない。けれども、力を使うことは当麻に禁じられているし。それに伊達家の物が処理することで太刀打ちできないと示せるのだ。

だから相手と対峙するのは征士でなくてはならない。

「探してどうするのだ?」

征士が問い返す。

「きっと犬の首が埋まっているわ。だからそれを掘り返せば呪詛返しになる。それで十分よ」

「でもさ。どうやってそれを探すの?」

伸が問いたげに亜由美を見てそれを当麻が見咎める。

「こいつには手を出させない。そういう約束だろう?」

不機嫌そうに当麻が言う。

ごめん、と伸が謝る。

「謝るほどのことじゃないさ。こちらもいい方がきつかった。悪い」

「やはり、呪いのかけ方を勉強するのが一番のようね」

脱線しかけた話をナスティが戻す。

「そうすればどこに呪物があるかわかるはずよ。攻撃は最大の防御だもの」

ナスティの言葉に当麻もうなずく。

「一日中、新聞のちっこい字おっかけてさすがに疲れた」

そう言って当麻が首をこきこきならしながら回す。

「疲れているだろう。今、茶を持ってこよう」

征士が台所へ向かう。

当麻が亜由美をじっと見る。

「どうしたの?」

「いや。なんでもない」

つい、と顔をそむける。

亜由美が怪訝な顔をする。

言えるわけがなかった。征士と一緒にいる亜由美を見て、嫉妬にかられたとは。

亜由美はなんの警戒心も持たず、征士のそばに立っていた。

仲間なのだからそれは自然なのだろうが、今の亜由美は基本的にひどくそばに人を寄せるのを嫌っている。

一定の距離から近づけないと伸がこぼしているほどだ。

当麻でさえも最近は避けられている。今、亜由美と当麻がこれほど近くにいられるのはこの問題が起こっているせい。この事件がなければきっとまだぎこちない雰囲気のままだったろう。

それなのに、征士はなんの問題もなく立っていた。

妙に似合っているのが腹立たしかった。

そこは俺のいる場所だ。

思わず叫びそうな自分をぐっとこらえたのだ。

亜由美は当麻の顔をぐいっと自分の方に向けた。

「なんでもないならそういう顔をしてよ」

「疲れているんだ」

冷たく言い放ってから当麻はしまったと思った。

亜由美はその冷たさに一瞬言葉を失った。

どこか傷ついた光が亜由美の瞳に走った。

「あゆ」

申し訳なさそうに名を呼ぶ。

亜由美は瞳の色を隠すようににこっと笑う。

「ほら。座って。肩もんで上げるから」

亜由美が当麻を座らせると背後に回る。そうして当麻の首筋、肩をもみほぐす。

首の緊張がほぐれてくる。

ふぅ、と息を吐く。

「まったく。当麻はいいよ。そうして疲れを癒してくれる人がいるんだから」

伸がうらやましげに言う。

「なら、伸もはやく彼女でも作るんだな」

当麻が笑う。

「伸もあとでもんで上げるから待ってて」

当麻の後ろから亜由美が声をかける。

「気持ちだけ受け取っておくよ。あゆを取ったら当麻に殺されそうだから」

半ばからかうような口調で伸が言う。

「当麻が伸を殺すわけないじゃない」

亜由美がおかしそうに笑う。

「だといいけどね」

伸が肩をすくめる。

「当麻?」

ふいに押し黙った当麻に声をかける。

あ、ああ、と当麻が答える。

それから亜由美のもんでいる手に自分の手を重ね、ぽんぽんと叩く。

「サンキュ。楽になった」

そう言って立ちあがる。

「気分転換に外に出てくる。あゆは伸の肩をもんでやってくれ」

そう言うとすたすた出て行く。

まいったな。歩きながら当麻は額をおさえる。

どうも感情的になっている。今の自分は何をしでかすかわからない。

ただの子供のような焼餅なら笑って飛ばせるが、焼けるような嫉妬となると手がおえない。

伸に親しげにあゆが声をかけただけで嫉妬してしまっていた。

あゆが皆と関係を改善させることを望んでいるのに、だ。

あゆの頑なな態度を助長させているのは案外自分かもしれない。

当麻は苦笑した。

 

当麻はその日、夜中になるまで帰ってこなかった。

襲われたらどうするのよ。

亜由美は苦々しく思った。

探しに行こうとしたが、伸に止められた。

一人にしておいたほうがいい、と。

いらいらと亜由美は布団の中で寝返りを打った。

声なき声が耳につく。

塩は家の守護を助け、雑鬼は入れなくなった。

だが、当の元凶はあきらめたようではなかった。

屋敷の周りに悪気が幾重にも取り巻いている。

憎しみの声が木霊する。

相手は案外しつこいみたいだ。

この調子ではいずれ家の守護を破って狙ってくるだろう。

憎しみがひときわ征士に向けられている。

おそらく、企みを阻むものとしてまた伊達家の人間として狙われたのだろう。

明日、それとなく言うべきかもしれない。

喉が乾き、台所へ水を飲みに起きあがる。

台所で征士と出会う。

征士はコーヒーを入れて飲んでいた。

「どうしたのだ?」

征士が尋ねる。

「そっちこそ」

「うむ。何やら胸苦しくてな。飲むか?」

コーヒーカップを掲げて尋ねる。

「これ以上、眠れなくなったら嫌だから、遠慮しておく。ミルクでもあるかな」

亜由美の言葉に征士が冷蔵庫を開けてコップにミルクを入れて渡す。

「ありがと」

言葉少なく受け取る。

「当麻の事を気にしているのか」

征士が静かに問う。

「それもあるけれど・・・他に気がかりなことがあって」

軽くため息をつくと現状を告げる。

「次に狙われるのは、私、か」

一人、呟く。

「気をつけて。相手は存外に強いかもしれない。今はこれしか見えないけれど」

「いや、十分だ。結局世話になっているな」

「すくなくとも力を使っていないから、いいんじゃない? 

今のところ私はノータッチと言うことにしておいてくれたらいいから」

「ああ。だが、やはり当麻に悪い」

征士が苦笑する。

「しかたないよ。状況を把握できるのは私だけなんだから」

亜由美がしかたなそうに言う。

「私はこれで休むが、あゆは?」

「当麻がお腹すかせて帰ってくるかもしれないから、もう少し起きてる」

「それではあまり夜更かしをせぬように」

そう言って征士が出て行く。

はぁ、とため息をつく。

当麻の馬鹿。こんなときにどこほっつき歩いてるのよ。

 

当麻は屋敷の門に背を預けて夜空を眺めていた。

皆が心配するだろうと思って帰ってきたが、どうも家に入りづらい。

どんな顔で征士や伸と顔を合わせたら?

だが、こんな時に惑っているわけにはいかないのに。

考え込む当麻に誰かが近づいた。

「いい加減、戻ったらどうだ? あゆがお前を案じて起きている」

「征士、か。知っていたのか」

「ああ。そこにいるのは知っていた。

いつ戻るか待っていたが、このままでは帰ってこないような気がしてな。ナイトがいないと姫君が嘆いているぞ」

「征士がいれば問題ない、さ」

皮肉げに当麻が言う。

「何?」

征士が眉を上げる。

「いや、独り言だ。気にしないでくれ。あゆはどこに?」

戻りながら尋ねる。

「さきほどは台所にいた」

「サンキュ」

軽く礼を言うと屋敷の中に戻り、そのまま台所へ向かった。

亜由美はからになったコップを所在無さげに見つめていた。

人の気配に顔を上げる。

「どこほっつき歩いていたのよ」

安心したような、それでいてどこか腹立たしい表情をして亜由美が言った。

「悪い。ちょっと野暮用でね」

「お腹すいてるでしょう? 待ってて」

コップを流しに置く。後ろから当麻が亜由美を抱きしめる。

「一人にして悪かった」

「別に。用事があるならしかたないじゃない」

亜由美が当麻の手に手を重ねる。

「俺って時々、本当は大馬鹿者だと思うことがあるよ」

頼りなげに当麻が呟く。

「実際、大馬鹿者だと思うけれど? 

こんな時に、しかもよりによって夜中までほっつきあるいてるんだから。何かあったらどうするのよ」

「悪かったと言っているだろう?」

違う、と亜由美は頭を振った。

「危ないのは私じゃなくて、当麻のほう。夜は危ないから」

夜の闇は悪しき者の動きを助長する。

「そんなに状況が悪いのか?」

「かなり、ね。今は感覚をセーブしているから最低限のことしかわからないけど。征士がねらわれている。正直どうしたらいいかわからない。ナスティを調査に行かせて良いのかどうか・・・。相手は早めに出てくるかも知れない。それならその時に征士達がいてくれた方が助かる、と思うの。調べても出来なければ意味がない。ならば相手が打ってくるのを返せばいい」

「どうすれば返せる? 掘る以外にはないのだろう?」

当麻が尋ねる。

「もうひとつ方法がある。術者が返す方法」

だめだ、ととっさに当麻が声を上げる。

「わかってる。今回は一番前に出て行くつもりはない。五月ちゃんに聞いたけれど、伊達家には退魔の太刀というのがあるらしいの。さっき征士に状況を話したからきっと征士はそれを持ち出すわ。それでやっつけてもらうの」

堅かった声が少しずつ明るさを取り戻してくる。演技している明るさではなくて本来の明るさが戻ってくる。その声を当麻はほっとして聞く。まだ亜由美は自分のからに閉じこもっていない。大丈夫だ。今を大切にいきれば未来がある。ナスティの言葉を当麻は心の中で反芻した。神妙な気持ちでいるのにそれを   ちゃかすかのように当麻のお腹がぐぅと鳴った。

二人は小さく声を立てて笑いあった。

 

その翌日の夜、居間に当麻達はくつろいでいた。

征士が刀の手入れをしている。

亜由美は五月とナスティとあやとりで遊んでいる。

「征士、今日はずっとその刀を持っているけど、何か意味があるのかい?」

伸が興味深げに問う。

「ふむ。これは退魔の太刀でな。お祖父様のコレクションから借り受けてきた」

征士は今朝借りにいってきたときのことを思い出していた。

征士は包みかくさず、状況を話した。

祖父はなにも言わず、退魔の太刀を貸した。

征士は祖父は何もかも知っていたのではないかと思った。

なんでも見透かすような祖父には驚かされる。

部屋を退出する間際、祖父はこう尋ねた。

「あの娘はお前にとってどういうものなのだ?」

誰、とは征士は聞かなかった。

ナスティを指し示しているのはわかっていたからだ。

「私の大切な人、です」

振り向いて微笑むと征士はそう答え出ていった。

祖父はそれ以上何も言わなかった。

「ふぅん。って何もわかっていないの、僕とナスティだけのようだけど?」

伸が尋ねる。

落ち着きを取り戻した当麻は突然、調査を中止すると言うし、征士は退魔の太刀なんか持ち歩いている。

亜由美はただ黙って五月の側から離れない。

折角、共にいるのに仲間はずれにされるのは気分的に良くない。確かに自分は戦いという物を毛嫌いしているが、仲間の危機を見過ごすような人間ではない。けれどもナスティは一向に気にしていないようだった。信じる力というのはナスティの方が上手なのかもしれない。伸は心中で苦笑いをする。

その時、ふいに亜由美が顔を上げる。

張りつめた空気が空間に漂い、伸は戸惑った。