Memory

それは唐突に起こった。

記憶が亜由美の中からきれいさっぱり消えていた。

 

「当麻!」

珍しくうろたえた様子で迦遊羅が部屋に飛びこんできた。

当麻はまだ眠っている。

「起きてください。当麻。起きて」

迦遊羅が揺さぶる。

「あと、五分・・・」

などと当麻がむにゃむにゃ呟く。

「当麻! 姉様の記憶がなくなったのです」

その言葉を夢うつつに聞いていた当麻ががばっと起きた。

「何?」

それだけ言うと、亜由美と迦遊羅の部屋に飛んでいく。

亜由美はぼうぅ、とベッドの上で放心していた。

「あゆ! お前、また記憶なくしたって、本当か?」

当麻が亜由美の肩を掴む。

あの、と戸惑いながら亜由美が言う。

「私の名前、あゆと言うんですか?」

その言葉に当麻は言葉を失い、ベッドにつっぷした。

 

亜由美の記憶喪失はしばらく平和だった家中を騒然とさせた。

 

「お前、ほんっとに、なんにも覚えていないんだな」

額を抑え、当麻が軽くため息をついた。

大学病院の待合室である。

「心因性記憶喪失」

それが下された診断だった。

「何か大きなストレスを感じて一時的に記憶喪失になったのでしょう。

少し、穏やかな環境ですごさせたほうが良いですね」

東京の主治医は言った。

基本的な生活を過ごすことには支障はない。

ただ、今まであったことすべてがきれいさっぱり消えうせていた。

自分が誰なのか。今、目の前で額を抑えてうなっている青年はいったい誰か。

まったく亜由美はわからなかった。

「ともかく。家に戻ろう。戻ってから考えよう」

看護婦に指示を受けていたナスティが戻ってくるのを確認して、半ば自分に言い聞かすかのように当麻は言った。

 

戻ると亜由美はたちまちベッドの上の住人となった。

「安静第一」

これが指示された療法であったから。

心配そうな皆を部屋から締め出すと当麻はベッドの脇に椅子を引き寄せ、座った。

「とりあえず、必要なことを教えておく。まずは名前からだな」

当麻はノートを手にして河瀬亜由美と書いた。

「これが、私の名前?」

不思議そうにノートを見つめる。

「そう。俺達はあゆと呼んでいる。双子の妹、迦遊羅がかゆ、と呼ばれている」

それから、と当麻は一枚の写真を取り出した。

夏に皆でとった記念写真だ。

まずは自分を指差して当麻が言う。

「これが、俺。羽柴当麻」

それから順順に指差して名を教える。

一通り教えて当麻は考え込んだ。

一体、どこまで教えたらいいのやら。

あまり刺激しないほうがいいといわれている。

亜遊羅の部分はかなりハードだ。

落ち着いてから少しずつ話そう。

当麻は考えながらぽつり、ぽつり、知っている限りの亜由美の過ごしてきた人生を語り始めた。

「で、ここが最終ポイントだ。うれしいこと、楽しいこと、悲しいこと、つらいこと、なんでも話す。分からないことがあったら一緒に考えるって俺達は決めたんだ。だから俺は今、基本的にお前がびっくりしないようなことは包み隠さず話している。約束だからな。びっくりするようなことはおいおい話してやるから。安心しろ」

言って当麻は優しく亜由美の頭をなでる。

「急にいろいろ詰め込まれて混乱しているだろう? 今日はゆっくりしていたらいい」

そう言って当麻は部屋を引き上げた。

皆が心配そうに廊下でたむろしていた。

当麻の姿を見て皆が質問攻めにしようとしたのを軽く制して言う。

「とりあえず、喉かわいた。茶をいれてくれないか」

 

亜由美はぼうぅっと写真を眺めていた。

これが妹の迦遊羅。これがさっき教えてくれた、親戚の、それも許婚だと言う羽柴当麻。

こっちが迦遊羅の付き合っている真田遼で。

それから・・・。

そこまで教えてもらった名を反芻しているうちにふっと当麻の顔が浮かんだ。

許婚らしいけれど、親が決めたと言っていた。

彼は私のことが好きなのだろうか? 私はどうだったのだろう?

一番、心配していない様子だった。

皆、困惑したそれでいて悲しい表情をしていたのに対して彼は冷静だった。

ほんの少し困った、という風ではあったけれど。それもしょうがないなぁ、といった風だ。

頭をなでる大きな手がとても暖かかった。

なでられているうちに戸惑いも恐怖も何もかも薄れていくようだった。

 

そのとき、迦遊羅がそっと部屋に入ってきた。

えっと。この子が・・・。

写真と見比べる。

「あなたが迦遊羅さん、よね?」

さんづけしたとき、迦遊羅は少し悲しげな瞳をした。

亜由美は申し訳ない気持ちになる。

「かゆ、と呼んでください。妹なのですから。夕食です」

迦遊羅は傍らの椅子に座ると茶碗と箸を手渡す。

おかずの皿は迦遊羅が持ち、亜由美がそれをつつくと言う具合だ。

黙々と食事する。

なんと話せばいいかわからなかった。

ぎこちない雰囲気が部屋に漂う。

「おいしい・・・」

筑後煮を食べてぽつりと亜由美が呟く。

「今日は姉様の好物を伸が作ってくれたんです」

それを聞いた迦遊羅が言う。

伸、というと・・・。

写真を思い浮かべる。

「あの、優しそうなお兄さん?」

ええ、と迦遊羅が頷く。

そこから唐突にまた会話が途切れる。

長い沈黙の後、ご馳走様と言って亜由美は静かに箸を置く。

「それではゆっくり休んでください」

迦遊羅が出て行こうとするのに声をかけた。

「あの、伸さんにありがとうって言っておいてください」

はい、と言って迦遊羅はふわりと微笑んだ。

 

「どうだった?」

皿を下げに階下に降りた迦遊羅を見つけて伸が問う。

「筑前煮がおいしいと。それからありがとう、と言っていました」

「よかった。気に入ってもらえたんだね」

うれしそうに伸が顔をほころばせる。

当麻によって絶対安静、刺激しない、かといって腫れ物扱いしないという方針が言い渡されていた。それから亜遊羅の話は厳禁、と。

「今までの姉様ってどこかふてぶてしいところがありましたけれど、本当は繊細な傷つきやすい人だったかもしれませんね」

迦遊羅はそう言った。

 

幾日かして亜由美は皆と食事をとることにした。

記憶がないだけで別段、体がどこか悪いわけではないから、というのが理由だった。

絶対安静と言ってベッドに放りこまれた割にはあっさり、ベッドから解放された。

亜由美の事に関する決定権が当麻にあるのはすぐにわかった。

かといって亜由美を縛るわけではない。むしろ、一種放任主義ともいえるゆるやかさで自由にさせてく

れた。毎日、留守番してぼーっと一日を過ごす。毎朝、ナスティが朝食をつくり、皆の弁当を伸がつくる。その弁当を持って征士と当麻、迦遊羅がそれぞれ高校へいき、伸、ナスティは車で仕事場に行く。

昼は伸が作っておいてくれた弁当をテレビを見ながら食べる。

当麻と征士を夕方四時ごろ出迎え、その後、迦遊羅が帰ってくる。彼女は歴史探検部という部に所属しているらしい。

伸はアトランダムな時間に帰ってきて、夕食を作る。彼は大学に行きながら、高校で嘱託講師を務めているが、決まって五時には家にいた。

そうして六時には夕食が始まる。

ナスティは基本的に帰りが遅かった。はやくて六時、遅い日は夜中を過ぎる。

伸と同じ高校で嘱託講師をして担任を持っているせいだ。

皆と同じ時間を共有しているうちに、なんとなく人間関係が掴めてきた。

伸、当麻、征士は親友同士。皆の総保護者のナスティは征士と付き合っている。

当麻は自分の許婚だし、迦遊羅は彼らの別の親友、遼と付き合っている。

伸はフリーだ。

皆、亜由美に気遣う風はなかった。

初日の悲しそうな表情はどこにもなかった。

ただ、名を呼ぶときさんづけをしてしまうために少々悲しい思いをさせているようだったが。

夜、皆、洋間でテレビをつけながら談笑する。

こういう時、当麻はいつも亜由美のそばにいる。そうして困ったときには必ず、助け舟を出す。

その気遣いで亜由美はなんとか皆の中に入ることができた。

ただ、ときおり、自分がひどく場違いな気がする時がある。

皆がここにいない親友達の話を持ち出すときだ。

皆、思い出話に花を咲かせるが、自分は参加できない。

ひどくつらい。

そんな時、決まって当麻は亜由美を連れ出し散歩に出かける。

彼のさりげない優しさには頭が下がる思いがする。

この人のことだけでも思い出せたらいいのに、と切実に思う。

ある夜、歩きながら亜由美はぽつんと言った。

当麻さんだけでも思い出せたらいいのに、と。

彼は、思ってくれるだけでうれしい、静かに語った。

そうして日を過ごすうちに日に日に亜由美はつらくなる。

気遣いのない態度は余計に自分がどれほど大切にされていたか思い知るからだ。

思い出してその気持ちにこたえたいと思うのに思い出せない。

自分が大切にしていたであろう人々のことを思い出せない。

苛立ちが日々募る。

ある時、ついに亜由美は感情を爆発させてしまった。

「どうして・・・っ。思い出せないのっ。皆、大切にしてくれるのに、私だって大切にしたいのにどうして思い出せないのっ」

悔しそうに唇をかみしめ、涙をぼろぼろこぼした。

当麻が読書の手を止め、近づいてそっと肩を抱く。

「別にいまのままのあゆでいいんだ。思い出さなくてもこれから思い出を作ることはできるだろう? 今のあゆが皆を大切にしたいと思えば、それでいいじゃないか」

静かに当麻が語る。

でも、でも、と亜由美は激しくかぶりを振る。

思い出したい。大切な人々のことを。忘れたままだなんて自分が許せない。

ふぅ、と当麻が軽くため息をつく。

「俺達と離れて、どこか静かなところに行った方がいいな」

「どこへ行くのだ? 実家には戻れまい」

亜由美の知らない事情を知っているらしい征士が言う。

「そうなんだが。今は皆といっしょにいる方がつらいだろうからな。どこかいいところがあればいいが」

当麻が答える。

「僕の実家に行ってみるかい?」

伸が提案する。

「ちょうど実家に行く用事ができたんだ。僕の家なら本当に静かだし、今は母さんしか家にいないから」

そうか、と当麻がほっとする。

「それでは、悪いが伸、頼めるか?」

「いいよ。当麻も行くんだろう?」

さも、当然のように伸が言う。

「いや、俺が行ったら意味がないだろう。一人でゆっくり考え直す時間をやりたい。

それに一番新密度の高い俺と離れるのが一番かもしれない」

淡々と当麻が言う。そこにどんな感情が隠されているかはわからない。

「当麻?!」

皆が一様に驚く。

「今までてこでも離れなかったのが一体どういう風の吹き回しだ?」

征士が代表して問う。

「別に。こいつには時間が必要だし、俺もいいかげん、あゆ離れをしなくてはならないと思っただけだ。今まであんまりにも縛ってきた気がするからな。いい機会だと思う」

当麻が語り、おいおいと再び口を開いた。

「何も別れるとは言ってないだろう? これは俺んのだ。間違いなくな。

少しぐらい離れていても気持ちは変わらん」

あゆが新しい自分でもう一度はじめる気持ちになるのを助けたいだけだ、と亜由美の髪をくしゃっとなでて当麻は言った。

亜由美は当麻の優しさにどれほどこの人に想われているかを改めて思い知った。

 

次の日、亜由美は伸と共に車中の人となった。

 

「それじゃ、母さん。あゆのことよろしく」

そう言って伸は再び、東京へ戻る。亜由美は久しぶりに一人きりになった。

 

潮風が髪をなでる。

波の音に心が洗われるような気がする。

自分はずいぶん重い荷物を持っていたようだった。

当麻のでも皆との思い出ではない、なにか別のものを抱えていたようだ。

無我夢中で走りつづけてきたとなぜか自分は知っていた。

その糸が切れてしまったのだ。

心が解放されて軽くなる。

ここには思い出す必要なものはない。

しがらみもない。

素の自分でいられる。

自分が河瀬亜由美やあゆという人間かどうかはしらないが、今いる自分は間違いなく自分だ。

私が私でいること、がひどく大事な気がした。

 

その夜、亜由美はぼーっとしていた。

静かだ。

波の音が疲れきった心を癒す。

ふっと携帯が目につく。

手にしてメモリダイヤルをいじる。

さまざまな人の名前が続く。

迦遊羅。

秀。

純。

伸。

征士。

当麻。

遼。

ナスティ。

見覚えのあるものもないものも続く。

自分はこれだけの人の中で生きてきたのだと思い知らされる。

この人達とまたうまくやっていけるだろうか。

記憶をなくして新しい自分ではじめても皆、受け入れてくれるだろうか?

"大丈夫"

ふと当麻の静かな声がしたような気がした。

当麻のメモリダイヤルを見る。

彼らと離れるためにここに来たのにもう気になっている自分がいる。

亜由美は苦笑いする。

当麻の声が聞きたい。

優しい、だが、それだけでない自信に満ちたあの声が聞きたかった。

新しい自分をはじめる。

それが、自分に素直になるところからはじめても構わないだろうと思った。

 

パソコンに夢中になっていた当麻は机の上の携帯が光っているのに気がついた。

メールが入っている。

すかさず、チェックする。

あゆ、だった。着信時間は一時間前。

メッセージは短かった。

電話してもいい?、と一言だけ。

何かあったのだろうか。

眉根をよせながら、携帯を手にして階下へ降りる。

もう同室の征士は眠っている。恐ろしく朝の早い征士はその分、就寝が早い。

早々と夜、九時には眠る。

話すのなら別の場所でなくてはならない。

一時間も経過していることを考えるとあきらめて亜由美は眠っているかもしれない。

伺いの返信を出したほうが良いと思ったが、二度手間になると思って直接ダイヤルを発信する。

いや、二度手間になると思うのはこじつけだ。

まだ離れて一日もしないのに、ひどく気になる。顔が見たい。せめて声が聞きたい。

離れたほうがいいと自分で決めたのにがまんできない自分がいる。

馬鹿だな。俺も。

苦笑いしながら相手が出るのを待つ。

呼び出しが続いたかと思うと留守電に変わった。

やはり、眠っているか。

当麻はダイニングテーブルの上に携帯を投げ出し、組んだ両手の上に額を置いた。

 

亜由美ははっとして携帯を手にした。呼び出しに気づくのが遅かった。手にしてとたんに切れてしまう。

着信を確かめる。

当麻だ。

慌ててリダイヤルを押した。

 

当麻は着信音に気づくと誰かも確かめず、キィを押していた。

「あゆか」

亜由美は電話の向こうでいきなり名を呼ばれ驚いていた。

普通はもしもしからはじまると思っていたのだが。

「あゆ?」

当麻が再び、名を呼ぶ。

"あ、うん。起きてた?"

敬語でない声に思わず、尋ねる。

「思い出したのか?」

"ううん。そうじゃないんだけど。あ・・・ごめんね。ただ、当麻の声が聞きたくて。迷惑だった?"

「いや。俺も声が聞きたかった」

深い思いを乗せて当麻は言う。当麻、といわれただけひどくうれしかった。

さんづけでない、呼び捨てが心地よかった。

あゆと当麻。これが一番しっくり来る呼び名だった。

"えっと・・・その・・・"

きっと自分が同意して亜由美は戸惑ったのだろう。

電話の向こうで顔を赤らめているであろう亜由美の顔を思い浮かべた当麻の顔に笑みが浮かぶ。

「そっちは、どうだ?」

静かに尋ねる。

"うん。海があってね。すっごく大きくて。気持ち良くって。それですっごく、ほっとした"

言葉を探しながら答える亜由美の声をいとおしく思いながら当麻は答える。

「よかったな」

電話の向こうで亜由美がうれしそうにうんと頷く。当麻の方は?と尋ねる声に当麻は一日の出来事を話した。

二人ともはしゃぐでもなく、静かに言葉を交わす。

二時間ほど話して名残惜しそうに二人は電話を切った。

 

亜由美は萩の街を楽しんだ。

観光し、遊んで回る。

まるで電話で報告することを探しているように。

当麻も亜由美も夜遅くに電話で話した。

たわいのない、新聞のことやテレビのこと、出された夕食のこと、学校であったできごと、萩で体験していること。

節操もなく二人は話し続ける。

話題が尽きると名残惜しそうに電話を切る。

そんなやりとりが何度か続いた。

 

そうして突然、亜由美は土産を山のように抱えて帰ってきた。

当麻の姿を見とめると一目散に駆け寄る。

勢いあまってつんのめりそうになった亜由美を当麻が笑って抱きとめる。

「浮上したな」

「うん」

「よし」

見つめ合う二人の後ろから伸が声を出す。

「感動の再会はいいんだけど。ここには僕達もいるのをお忘れなく」

その声に亜由美は顔を赤らめる。

「別にいいだろう? こいつは俺んのだと言っておいたはずだ」

当麻が抱く腕に力をこめる。

「当麻。お土産がつぶれる」

腕の中で抗議を受け、しぶしぶ当麻が解放する。

「ただいま、です」

「お帰り」

伸が答える。

「帰ったのか」

征士も心なしかうれしそうに出迎える。

「お土産の配給でーす」

明るく土産を出す亜由美の後ろ姿をうれしそうに当麻が眺める。仲良く笑いあう姿にほっとする。

が、どこか心の中に不安があった。

ふっと瞳が曇る。

その様子を迦遊羅は捕らえていた。

大丈夫そうに見えてそうでない当麻。

自信に満ち溢れた態度の奥に秘められた苦しみ。

どうしたものかしら?

迦遊羅はひとりごちた。

 

迦遊羅はわざと小さく物音を立て、部屋を出た。

亜由美が気づくことを祈って。

亜由美が記憶を失ってから当麻がどこか考え込みがちなのを亜由美以外の誰もが知っていた。

亜由美の前ではいつもと変わらない当麻だったから気づかないのも当たり前だったのだが。

当麻は最近夜更かしをするようになっている。

予想通り、当麻はビデオを見ていた。

異国の言葉が流れる。

「また、夜更かしをしていたのですね」

迦遊羅が軽くため息をついて言う。

「俺は元々、夜行性なのでね」

当麻が軽くかわす。

「皆、きづいていますよ。最近の当麻が普通ではないことに。もっとも姉様の前ではうまく誤魔化されていますが」

当麻が黙り込む。

「姉様に一人で抱え込むなと言っておいて今度はあなたが一人で抱え込むおつもりですか?」

亜由美は扉の向こうで息を潜めて会話を聞いていた。

「せめて。私達の前では言えませんか?」

迦遊羅が言う。

ふぅ、と当麻はため息をついてぽつりと言う。

「俺は自信過剰だと言われるぐらいだが、実際はそうではない」

怖いんだ、と短く言う。

迦遊羅がじっと聞く。

「俺とあゆは生まれる前から何度もであってお互いを選んできた。だから何があってもあゆは俺を選ぶと信じている。たとえ、記憶がなくなろうとも何度でも選んでくれると信じている。だが、そんな俺でも怖いんだ。もし、俺でなく、他の誰かをあいつが選んだとしたら」

ここで一旦言葉を区切る。

「だとしたら?」

迦遊羅が促す。

「俺は、耐えられない。気が狂ってしまうだろう」

震える声で言うと当麻は深く頭をたれた。

しん、と静寂が二人を包む。自分に言い聞かすように当麻が言葉を継いだ。

「だが、そんなことを言ってどうする? あいつを追い詰めるだけじゃないか。俺の思いを押し付けて気持ちを強要するのは嫌だ。あいつが自分から俺を選んでくれなくては意味がない」

当麻が力なく言う。

と同時に黙って聞いていられなくなった亜由美が部屋に飛びこみ、当麻の前にひざをつく。

「どうして。黙っていたの? 当麻と私が決めたんでしょう? 楽しいことも、悲しいことも全部、話し合おうって。当麻そう教えてくれたじゃない。それなのに私に黙っていただなんて、ひどいよ。当麻が苦しむなら私も一緒に苦しみたい」

一気に言葉を吐く。

あゆ、と当麻が顔を上げた。

瞳はいつもと違って痛々しい光を放っている。

亜由美は思わず、胸に当麻を抱いた。力なく当麻は頭を亜由美の胸に預ける。

「ちゃんと話して。一緒に考えるのでしょう? 私、当麻のこと好き。前のことは覚えていない。

でも、今の私も当麻のことが好き。一生懸命考えてくれる当麻が好き。気づいたら当麻のことが大好きだった。だから何でも話して」

所在無さ実にしていた当麻の両手がおずおずと亜由美の背中に回される。その様子に迦遊羅が部屋を出る。

この姉にしてこの将来の兄だ。まったく世話が掛かる。

部屋を出るとそこにはナスティ、伸、征士が立っている。

「ご苦労様」

伸が笑う。

「本当に世話の掛かる兄様と姉様です」

そういう迦遊羅の顔も笑っていた。

 

「お前、やっぱり、俺を選んでくれたんだな」

考え深げに当麻が言う。

「当たり前でしょう? こんなに想われて嫌いになるほうがおかしいよ」

そう言って当麻の髪にそっと口付けする。

くっ、と当麻の喉の奥が鳴った。

「当麻?」

亜由美が尋ねる。

「悪い。そうとう参っていたようだ」

震える声でそう言って黙り込む。当麻の肩がわずかに震えていた。

亜由美が当麻を抱く手に力をこめる。

しばらく二人はそうしていた。

 

さて、と亜由美は床に座り込み当麻の顔を覗き込んだ。

「ちゃんと話してもらうよ」

「お前、さっきの会話聞いていたんだろう? だったらいいじゃないか」

今更、同じ事が言えるか。

当麻はぶっきらぼうに答える。

だめ、と亜由美が強く言う。

「何でも話すんでしょう? 妹に言えて、どうして私に言えないの? 私より彼女の方が大事?」

「なわけないだろっ」

その言葉に当麻が声を荒げ、悪い、と言って口を押さえる。

「じゃぁ。私に言って」

亜由美は引き下がらない。当麻がしかたない、いった風に口を開く。

「だから、俺は怖い。お前が他の誰かを選ぶような気がして。そうなったら。俺は気が狂う」

短くスタッカートのように言葉を区切って当麻が言う。

亜由美はにこっと笑う。

「当麻を選んだよ。いつだってきっと当麻を選ぶ気がする。だからもう怖がらなくていい」

その言葉に当麻は胸を熱くする。

片手で亜由美の頬に触れる。

「なぁ、キスしていいか?」

その言葉に亜由美は驚く。なんとなくきょろきょろ見渡してから恥ずかしそうに頷く。

当麻が顔を上げさせ、羽が触れるように軽く唇を重ねる。

そしてゆっくり離す。

亜由美のまぶたがゆるゆると開いたかと思うと当麻の首に手を絡ませていた。

「そんな子供だましのキスで満足する気? それとも子猫ちゃんは襲う気になれない?」

二人きりの秘密の会話が話に出てきて当麻がはっとする。

「おまっ・・・。思い出したのか?」

良く見ると亜由美の表情が違う。どこか繊細で華奢な感じがいつものどこか不敵なそれでいてどこか無邪気なアンバランスな感じに戻っている。

「今のキスでね。王子様のキスでお姫様は目覚めるのよ」

がくー、と当麻が脱力する。

キスひとつで元に戻るなら、とっととすればよかった、と一人ごちる。

「で、それで本当に満足なの?」

もう一度亜由美が問う。

いや、と不敵な笑みを浮かべて当麻は答えた。

「俺を悩ませてくれた借りはきちんと返してもらう」

当麻は頤に手をかけると熱のこもったキスを何度も繰り返した。

FIN

"おまけ"

ここでテレビの話が出たのでナスティ家の皆がどんなジャンルを見るか考えてみました。

当麻:ニュース、ミステリー、吉本新喜劇、あゆに付き合わされてアニメ

伸:ニュース、トレンディードラマ、料理番組

征士:時代劇

あゆ:トークショー、HNKスペシャル(世界史系、考古学系、医療系)、アニメ

迦遊羅:HNKスペシャル(日本史系)、あとは皆に合わせて

ナスティ:ほとんどみない