愛ある生活

「ん・・・っ」

重ねた唇の合間から亜由美の小さな声が漏れた。

情熱の波に飲み込まれそうになるのを当麻は必死に抑える。

無理やり、自分を亜由美から引き離す。

現在、当麻は京都市内の学生マンションに住んでいる。

大阪の父親の元に戻ってもよかったのだが、京大で学んでいるため時間短縮を考えて、あえて京都に住んだ。もっとも亜由美が実家の宇治にいるせいでもあったが。

そんな当麻の元へ亜由美は足繁く通う。今日などは亜由美に無理やり持ちこまれた恋愛映画を見させられていた。内容は切なく、すれ違う映画の主人公達にいつしかかつての自分達を見出していた。

彼らが結ばれる段になると当麻と亜由美も自然にどちらからともなくお互いを求め合っていた。

いつもならそのまま最後まで行ってしまう所なのだが、当麻は無理やり自分を引き離したのだった。亜由美がまだぼうっっとする頭をそのままにどうして、と暗に問う。瞳が熱く潤んでいる。

「これ以上は自主規制」

当麻が言う。

えー、と亜由美はぶつぶつ文句を言う。

それからじっと当麻を見つめる。

「だめだ」

強くかぶりを振る。

去年の夏、二人ははじめて体を重ねた。

はじめは夢中でお互いを求めていた。だが、気づけばばいつも二人してベッドの中で当麻の中で疑問が沸いていた。

以前は抱擁し、キスを交わし、いろんな話をし、冗談を言い合い、笑い、楽しんだ。その方が実りある二人の生活のように感じられる。今はただ抱き合う日々でしかない。体を重ね合うたびに当麻はなんだかそれがひどく俗っぽいものに感じられた。体を重ねる。それはもっと崇高でなくてはならない。少なくとも自分の気持ちは軽薄な俗っぽいものではない。飢えた動物のように求め合うのは当麻のポリシーの中にはなかった。それにあまりの自分の激しさに亜由美を殺してしまうんじゃないかと恐れてしまっていた。そんな事はない、と亜由美はいつも言うのだが。

「飯にするぞ」

訴えかけられる瞳から無理やり顔をそらすと当麻は台所へ向かった。

「とぅまぁ・・・」

台所で包丁を持つ当麻の後ろから甘える亜由美がぴたっとひっつく。

「危ないから、離れていろ」

当麻が振り向きもせず、言う。

ひとつ違いなのだが、一時、亜由美が心の成長を止めていたため当麻の前での亜由美はひどく幼いときがある。そんな亜由美を見ているとなんだか抱いた自分が犯罪を犯しているような気がする。

はじめて抱いたのは亜由美がほぼ20の時で年齢的には問題ないのだが。抱くのは間違っていたかもしれない、と時々当麻は思う。

「あゆ」

強く言う。

しぶしぶ亜由美は当麻から離れた。

むすっとして亜由美が当麻の作ったチャーハンを口に運ぶ。

怒らせてしまったか。

当麻は苦笑する。

この様子では一週間ほど顔は見られないだろう。本当に亜由美は怒りやすい。そうなると唐突に姿を消す。

昔は家出する癖があったが、今は会わないぐらいの程度で済んでいる。当麻との喧嘩の内容が今は亜遊羅絡みでないからだ。家出を繰り返したのは亜遊羅絡みの時である。

「飯食ったら、帰れよ。俺はお前と違って忙しいんだから。これ以上貴重な時間をつぶすわけにはいかない」

「単位、ほとんど取っているくせに」

亜由美が憮然として言う。

「俺は大学四年、お前は二年。四年には卒論があるの。お前の学部、楽だもんなぁ。四年になってから卒論テーマひねり出して書きゃいいんだから」

大抵の大学では二年の後半に来年度所属する特定ゼミを決める。そして三年にはもうそのゼミで卒論のテーマを追求し始め、四年に書き上げる。亜由美が明らかにむっとする。

「気楽な学部で悪かったわね。誰が入れって言ったのよ。ええ、わかったわよ。帰ればいいんでしょ。帰れば」

亜由美が激昂して言う。

ああ、と当麻は心中でため息をついた。

墓穴を広げてしまったようだ。

 

「かゆ。当麻、私のこと嫌いなのかなぁ?」

泣きそうな声で亜由美は迦遊羅に言った。迦遊羅がノートパソコンから顔を上げる。

二人の部屋にはメインのパワー・マックが一台。そしてサブにウィンドウズのノートをそれぞれ持っている。家には後、二台ノートパソコンがある。

一台は父親のi book、もう一台は妹のLavie。家族の中で持っていないのは母親だけだった。戦国の世からいきなり現代生活に入った割に迦遊羅はうまく順応していた。

「どうして。当麻は姉様を目に入れてもいたくないほどかわいがっているじゃないですか」

二人がどれほど愛し合っているかは周囲にはあきれられるほど知れ渡っている。

「だって」

といって後は言わない。純な迦遊羅に抱いてくれない、とはさすがに言いづらい。けんかした後、一週間ほど顔を合わせることもなかったが、いつのまにか和解していた。どんなにけんかしてもいつも気づけは和解している。

ただ、それから当麻の態度は一変していた。指一本、亜由美に触れない。ただの抱擁も軽いキスさえ。まるで聖人君子に早変わりしたかのようだ。以前はくっつき虫当麻、キス魔と称されるほどだったのに。

「当麻、さすがに飽きちゃったのかな。私って頭悪いし、子供だし、わがままだし、かわいくないし」

迦遊羅がまさか、という顔をした。

「きっと思い違いですよ。当麻が姉様以外誰を好きなるというのです」

それだったら、いいけど、と亜由美の言葉が部屋に落ちた。

 

亜由美は慣れた様子で京大の構内を歩いていた。彼の所属する学部は理学部。宇宙物理学を学んでいる。いろいろ才能にあふれる故、学ぶ分野に悩んだ当麻だったがかつて亜由美が目を輝かせてノーベル賞とってと言うので思わず、宇宙物理を専攻していた。ほとんど、某アニメの私を甲子園に連れていってののりである。もっとも京大は自由あふれる校風で通っている。

取ると言って取れるなら講義が重なっていようがなんだろうが単位が取れるのである。そのおかげで当麻はいろいろ学んだ。メインに宇宙物理学を選んだだけで、サブにさまざまな分野を学んでいる。

四年の彼は山ほど単位を取って今はゼミ一色である。卒業単位数などとっくに超えている。

今日はその週に一度のゼミの日である。亜由美がもう少しで理学館だと言うところで当麻が若い金髪の女性と出てきた。英語で語り合っている。それから当麻と彼女は抱擁を交わしてお互いに頬にキスする。そして別れる。

当麻が亜由美に気がつき、顔をほころばせて近づいてくる。呆然としていた亜由美はきびすを返すと走り出していた。

「おい」

急に身を翻されて当麻はあせって後を追う。亜由美も足が速かったがサムライ・トルーパーである彼のスピードには何もまとっていなくとも足元にも及ばない。あっという間に追いつき腕を掴む。

「離してよ」

抗う亜由美を見て誰もが不審げに通りすぎていく。

「こっちに来い」

ため息をついて当麻が亜由美をずるずる引きずる。

「一体どうしたんだ。急に逃げ出したりして」

当麻が問いかける。

「当麻は私の事なんか好きじゃないんだ」

むすっとして亜由美が言う。

「な・・・っ。お前ねー。中三のガキの頃からすでに俺はおまえが好きだったんだぞ。いまさら、他の女に目をやる訳ないだろうが」

どこをどう考えたらあゆのことが嫌いだと?

「だから、じゃない。ずっと付き合ってて当麻は私に飽きたんだ。

京大には頭のいい美人がごろごろいるもん」

はぁ?、と当麻は驚く。

どっからそんな思考が出てくるんだ?

当麻は逆に問いただしたくなる。亜由美が言葉を継ぐ。

「どーして。あの女の人にキスできて、許婚の私にキスのひとつもしないの?!」

ああ、とそこでようやく当麻は納得する。

「あれはただの挨拶。欧米式の挨拶だろうが。見て分からんのか?」

あきれたように言う。それでも嫌。亜由美は強く思う。許婚の自分が指一本触ってもらえないのになんでなんでもない人が抱いてもらえるの? 亜由美の瞳に嫉妬の炎が宿っているのに気づいて、当麻はまったく、と一人ごちる。愛らしい瞳にそんな目をされたらもう黙っていられない。ふわっと抱きしめる。

「あれはただの友愛、お前のは愛情。しかも一旦触れたらとどまるところを知らない。始末に負えないんだ。俺はそんなの嫌なんだ。お前を大切にしたい。ただ安っぽく抱き合うのは嫌なんだ」

かつて襲うときは徹底して襲うと言った自分がひどく情けない。自分はガキだった、と思う。

なんで、と亜由美は言う。

「好きだったら、好き。触れたかったら触れる。抱きたかったら抱く。それでいいじゃない。スキンシップは愛情の証なんだよ? どこが安っぽいの?」

当麻はふっと苦笑いする。

子供、子供だと思っていたが、子供は子供なりに純粋な結論に至るらしい。

かつて信じられないほど苦しんで想いをこらえていた人間には見えない。その茨の呪縛はもう消えてしまったようだ。本当に、亜由美には教わることが多い。

「好きなら好き、抱きたかったら抱く、か。お前の言うとおりかもな」

それじゃぁ、とどことなく不安そうな顔をして亜由美が問う。

ああ、と当麻は答える。当麻の禁欲の誓いはあっという間に崩れ去った。

「家へ戻ろう」

 

部屋で愛の余韻に浸ってお互い体に腕を回す。禁欲は結局何ももたらさなかった。

亜由美を抱き殺してしまうのではと恐れてはじめた禁欲生活でもあったが、そのたがが外れるとなお悪いことに当麻は気づき、苦笑した。触れなかったら触れなかった分だけお互い激しく燃え上がる。

その激しさと言ったら類を見ない。我慢しないで素直に行動したほうが抱き殺さず済むようだった。

二人はただこうして腕を回している時間が好きだった。行為そのものよりもむしろこうして静かに愛に浸っている時間が好きだった。俺さ、と当麻が静かに言う。うん?、と亜由美が聞く。

「来年、ケンブリッジに行こうと思っている」

え、っと亜由美の体が身じろぐ。

「長くて五年、短くても三、四年は向こうにいると思う」

当麻は不安、だった。中二で再会して、中三の時にはナスティの家で共同生活をはじめていた。

それから四年、まったく離れず生活し、それからお互い、家が離れてもこうしてそばにいる。

果たして、何年もイギリスと日本で離れていられるかと思うと不安だった。立派に勉学お納め、研究者として身を立てて亜由美を迎えに行くのが妥当と思われたが、どうも思いきりがつかない。ノーベル賞を取ってやるにはそれなりに勉強しなくてはならない。

はじめは亜由美の夢だったが今は当麻の夢でもあった。どんな分野の研究でも面白い。それがひいては世界のためになるならすすんで身をささげようと思った。

だが、とここでやはり逡巡する。

亜由美と離れるのは至難の技だ。

何かいい方法はないものかとここしばらく当麻は考えあぐねていた。

「お前、俺に着いてくるか?」

不安そうな亜由美に向かって当麻はこう言った。

「着いてくるって・・・イギリスに?」

亜由美が驚いて聞き返す。

「嫌、か?」

当麻が逆に問う。

「嫌、じゃないけど・・・」

ナスティの家で共同生活をしているようにはいかない。二人っきりで生活となるといわゆる同棲だ。まさか、イギリスに行ってまでアパートを別々に借りることほど非効率なことはない。だが、そんなことを家族が許してくれるかどうか。そう言うと当麻は言った。

「けじめをつけて結婚でもするか」

その答えに亜由美はええっーと声をあげて身を起こした。

「驚くなよ。別に構わないだろう? 最終的には結婚するんだし」

だけど、と亜由美は言った。

「うちのお父さん、学生結婚許してくれるかどうか・・・」

「ん。そこが問題なんだよな。とりあえず、お前が退学してくれたらお前は学生じゃなくなるが。

俺はそういうわけにはいかないからな。いっそお前も留学するか・・・」

その最後の一言にさらに亜由美は仰天した。

「留学ってどこに?」

自分の英語力のなさに日ごろから嘆いていた当麻の言葉とは思えない。

「ケンブリッジ」

さも当然のように言う当麻に亜由美は思わず額と額を合わせた。

「俺に熱はない。学生結婚はだめ。だが、勉学に励みたいと言ったら問題ないだろう? でもって同棲がだめならやはり結婚すると言えばいい」

やはり当麻は策略家である。詭弁で問題をかわす。でも、でもと口がぱくぱくする。

「生活費は? 大学費用は? ああ、それよりも結婚資金はどうするのよっ」

亜由美が頭を抱える。生活費には問題ない、と当麻が言う。実はな、と当麻が切り出した。向こうでもう働いていることになっている。

はぁ?、と問い返す亜由美に当麻はさらに言った。

「あんまり暇だったから、イギリスでプログラマーとして雇ってもらった」

プログラムを組む仕事だからわざわざ会社に出向くこともないし、必要とあればチャットやメール、電子会議で事は済む。最近は便利なことにテレビ電話で会議ができる。通信手段には事欠かない時代になっていた。というわけで今や当麻は勤労学生だった。給料はそれなりにいい。おまけにシェアウェアを開発して小遣い稼ぎもしている。

「これで奨学金もらったら二人分ぐらい楽に暮らせる」

それは大学費用になるのでは?と尋ねる声に当麻はいけしゃぁしゃと答える。

「俺は非常に優秀なので特待生なんだ」

学費がただなのに奨学金を取るのはもうほとんど詐欺の域である。

「じゃぁ、私の大学費用は?」

「それは俺にも無理だから、あゆのお父さんに借りよう。あとでちゃんと返せば問題ない」

じゃぁ、じゃぁ・・・と亜由美が言葉を続ける。

「結婚資金は?」

いくらなんでも入籍するだけでは悲しすぎる。やはりそれなりに結婚式は上げたい。

「それは親父とお袋を脅す」

そこだけは妙に自信にあふれて当麻が言う。使える手はとことん使う。当麻の必殺技である。

「その他に問題は・・・」

ないか、と一人ごちる。

ちょっと待て、と最大の問題の前で亜由美は顔を青くした。

「あるっ。この私がどうやったらイギリスに、しかもケンブリッジに行けるのよっ」

「それはお前の努力次第」

にっこりハートマークを飛ばして当麻が言う。

「心配するな。いきなりお前が入れるとは思えん。だが、あちらには幸い語学クラスを受講してその成績によって入れる場合があるんだ。そこで学べば問題ない」

そんなので大丈夫かという亜由美に当麻が恐怖の爆弾を落とした。

「もちろん最低限のレベルはこっちで上げてもらう。向こうに行くまで一年九ヶ月あるんだ。しかも、ありがたいことに来年三月に卒業したら九月まで俺はフリーだからな。みっちりしごいてやる」

ひぃーっと恐怖に声をあげる。

「お前、前にエジプト学、学びたいと言っていたよな。お隣はエジプト学発祥の地、フランスだ」

ぐっと言葉を詰まらせる。

「それに大英博物館もある」

またぐっと言葉を詰まらせる。

「ベーカーストリートもお前を待っているぞ」

極めつけの言葉に亜由美は陥落した。問題をクリアしたところで亜由美が言った。

「ちゃんとプロポーズしてよね?」

「俺、過去にもう二度もプロポーズしているが?」

当麻が言う。一度目は当麻が高三、あゆが高一の夏、二人の気持ちを確かめたとき。

当麻は安い指輪を亜由美の指にはめて言った。

「二十歳の誕生日には本物の指輪を贈るから、それまで待っていてくれ」

それから二年後、約束どおり、当麻はトパーズの指輪を亜由美の誕生日に贈っている。そんなんじゃ、だめ、と亜由美は当麻の鼻をつまむ。

「ちゃぁんと言ってよね。皆に聞かれたら答えようがない」

質問に答えるためにそういうのを聞くのだろうか、と不思議に思う当麻の顔を亜由美は見下ろす。じっと見つめられて、はいはい、とひょうきんに答える。それから一転、真剣な目をして当麻は言う。

「結婚しよう」

亜由美は涙ぐんではい、と頷いた。

 

二人の愛ある愉快な生活が目の前に広がっていた。

 

FIN

 

新しいあとがき

 

ちょっと官能的なシーンからの出だしでしたが一応彼らも年相応なのでそういうこともありなのです(汗)でも私にはラブシーンは書けないわ。おもいっきり馬鹿っぷるですね。次回から戯言シリーズとの併載になります。背景を探さないと~~~~。これはこれでかなり苦労するのでした。

 

おまけ・みんなの大学

 

大学の話が出たので皆の進路について少し。

 

遼:東京の芸術系大学で写真を学ぶ。

秀:高専に進学。中華料理を学ぶ。

征士:東京の大学で東洋哲学専攻。たぶん「日本人の思想・切腹」なんかを研究。

当麻:国立京都大学で宇宙物理学専攻。後、ケンブリッジ大学の院に留学

伸:東京の大学水産学科で海洋学を学ぶ。途中、沖縄水産大学に編入しなおす。

あゆ:同志社大学神学部に進学。途中、退学して当麻に付き合ってイギリス留学。

ケンブリッジから通える範囲で神学部に入り、アングリカン・チャーチの事を学ぶ。

迦遊羅:国立大阪大学にて日本史を学ぶ。ジャンルは戦国時代史。