「あゆ!」
亜由美の心の中に一条の光が差し込んだ。
「と・・・うま?」
ほんの少し、意識が戻る。
「お前っ。誰を心に入れた?!」
当麻が亜由美を揺さぶる。
誰を?
はっきりしない意識の中にうごめくものを感じる。
憎悪。
自分を苦しめているものへの憎悪。
違うっ。
私は憎んでいない。
皆、大好き。
「いやっ・・・」
小さな声がもれる。
その気持ちに抗うように手に剣が握られる。
ゆっくりと当麻の背中につきたてられる。
「やめてっ。・・・私は誰も憎んでいないっ。・・・出ていって!!]
心に光があふれた。
心の暗幕が取り払われる。
剣が手から滑り落ちる。
亜由美の体が震える。
人に刃を、それも当麻に向けた自分が恐ろしい。脅しでなく本気で刃を向けた・・・。
なんてことなの・・・。
「大丈夫か?」
当麻が気遣わしげに亜由美を見る。
その背後に皆の顔。
その顔に浮かぶ表情が怖い。
亜由美は自然に視線をそらせながら当麻の胸を押しやっていた。
「あゆ?」
「馬鹿当麻!!」
言って身を翻す。
馬鹿なのは自分。これは八当り。
涙がこぼれる。
自分がこれほど汚れた人間だと思ったことはなかった。
最悪。
よりによって自分の心に魔を入れ、果ては殺そうとした。
もう嫌だ。
やみくもに走り回る。
こんな自分捨ててしまいたいっ。
やみくもに走りまわっていたのにいつもの指定席に戻っている。
湖面に自分の姿が映る。
この世で一番目にしたくない姿。
いっそ、このままこの冷たい水の中に体を沈ませれば・・・。
何かに惹かれるように亜由美は体を動かした。

当麻はただ、待っていた。
探し回ったが、見つからない。
だから、いつも来るここで待っていた。
必ず、戻ってくる。
そう信じて。
そしてその思いは通じた。
亜由美は湖畔にたたずむ。
今にも夜空に消えそうな姿で。
その後姿がふらっと動いた。
湖に足を進める。
「おいっ」
当麻は駆け出していた。

ほんの少し、湖に足を進めたところで亜由美は腕を掴まれた。
「いやっ・・・。離してっ・・・。このまま行かせてっ・・・」
亜由美が必死に抗う。
当麻は亜由美の身を自分のほうに向けると頬をひっぱたく。
「お前はっ。命を粗末にすることしかしらんのかっ。折角助かった命をどうしてっ」
「私なんか・・・生きる資格ないっ。・・・もう・・・皆の前にはいられないっ。
体なんか持っているから、皆に迷惑かけるっ。こんな体なんかいらない・・・っ」
二度目の乾いた音が響く。
「本気でそんなこと言っているのか? 後に残された俺達はどうなるっ?」
「どうもしない・・・。皆、私のことなんか忘れるに決まってる。
私なんか大した人間じゃない。・・・人の記憶は移ろいやすい。どんなに人が死んでも人はやがて忘れていく・・・。だからかまわない」
絶望した声に当麻が驚く。
「それで・・・お前は永遠の孤独の闇に打ち震えるわけか? そんな事俺が許さん」
この腕の中の少女がどれほどそれを恐れているか当麻は知っている。
一人、闇の中に放りこむことなどどうしてできよう。
「・・・いずれ孤独はやってくるもの。どうせなら早く慣れてしまったほうがいい・・・」
「お前が死んだら俺も死ぬ」
静かな声で当麻が告げる。
一人で闇になど向かわせられない。
なんで?、と亜由美が濡れた瞳を向ける。
「まだ会ってちょっとしか経っていないじゃない。どうして私なんかのために・・・っ」
「あいにく、会ってもう二年なんだ。これが俺にとってどれほど驚異的な数字か、わかるか?」
亜由美が頭を振る。
「俺は生まれてこのかた、一年と同じ人間と付き合ったことはない。
それなのにお前とはもう二年も付き合っている。遼たちでさえ、まだ一年だ。
俺にとっては天文学的数字なんだ。しかも愛してさえいる。お前を一人にできるかっ」
最後はもう叫ぶように声を出す。
「でもっ。私っ・・・。二度も・・・当麻を殺そうとしたっ。そんなのもういやっ・・・。殺したくないっ」
「未遂だ。気にするな」
当麻が断言する。それから力強く言う。
「お前は、誰も殺せない。絶対に俺を殺せない。何度未遂を犯そうと絶対にそれはありえない」
「どうしてっ。そんなに断言できるのよっ。今さっき、殺されかけたのにっ」
「だが、死ななかった。これが事実だ」
淡々と事実を告げる。
だけどっ・・・。
亜由美の口から言葉がもれる。
「だめだよ・・・っ。当麻の側にはいられない。こんな手の汚れた人間を愛してはだめだよ・・・」
体中から力が抜けてそのままずるずると湖の浅瀬に手をつく。
「汚れてなどいない。お前は綺麗過ぎるんだ。なにもかも・・・。人は憎んで怒って泣く。
殺意だって抱く。お前はそんな普通のことでさえ、自分に許さない。いいかげん、もっと自由に生きろよ」
亜由美が首を振る。
「私はもう・・・自由など持てない。だけど、持てないなら持てないでいい。だけど・・・。
もう嫌。この手に意味なく剣を持ちたくない。まして、好きな人達に刃を向けたくない・・・。魔に付け入られるなんて・・・」
消え入りそうな声で呟く。
なぁ、と当麻も浅瀬にひざをつき亜由美をかき抱く。
「頼むから、俺の側から離れないでくれ。お前を失ったら俺はどうやって生きていけばいい?
お前が俺に人のぬくもりを与えたんだ。与えるだけ与えて俺を放り出すのか? 俺にまた孤独の中にもどれと言うのか・・・?」
その悲しい声に亜由美は驚いた。
いつも自信たっぷりな当麻が悲しんでいる。恐れている。当麻の震える心が伝わってくる。」
亜由美はぎこちなく手を当麻の背中に回す。
「一人じゃないよ・・・。皆、当麻の側にいるよ。例え、私が死んでも・・・それは体が滅ぶだけ。
心はいつも当麻の側にいるよ・・・。だから・・・」
怖がらなくていい。
言い終わらないうちに当麻が腕の力をこめる。
「誰一人、欠けるのは嫌だ。皆もお前も誰一人欠けてはだめだ。だから・・・死なないでくれ。
俺を置いていくな・・・っ」
静かな声。だが、そこから深く強い想いが伝わる。
しばしの静寂の後、うん、と亜由美が静かに頷く。
「わかった。当麻にもっと素敵な人が現われるまで側にいる。だから、もう怖がらなくていいよ」
亜由美のやさしい声が当麻の心をなでていく。
「お前でなきゃだめだ。他の誰も愛せない。お前だけなんだ。俺が愛しているのは・・・」
当麻がぎゅっと亜由美を抱く。
「当麻の気持ちはわかった。だから、安心して。側にいてあげるから」
亜由美が当麻の背中をなでる。
「約束だ。絶対に守れよ」
うん、と亜由美が呟く。
半分本当で半分嘘をつく。
私でない他の誰かを愛して幸せになるまで。
あるいは許されるだけ側にいよう。
当麻はまだ若い。いずれ自分より素敵な人をみつけるに違いない。
彼にはもう光りあふれた未来が待っているのだから。
間違いなくその道を歩けるように手助けしよう。
それが自分にできるきっとたったひとつの償い。
二度も刃を向けた自分にできることはこれぐらいしかない。
「絶対に約束守れよ」
うん、うん、と何度も頷く。
きっと本当の意味では約束守ってあげられないけど、そのときは許してね・・・。
声にならない声で切なく呟く。
くしゅん、と亜由美が小さくくしゃみをした。
当麻が笑って亜由美の小さな鼻をつまむ。
「まったく、二人して水浸しでどうやって説明するんだ?」
「それは天才智将におまかせする」
わーった、と当麻が答えて立ちあがると亜由美を抱き上げる。
「ちょっとっ。一人で歩けるって・・・」
「俺が、こうしていたいだけ」
そう言ってずんずん歩き出す。
「皆、怒っていない?」
不安そうに亜由美が聞く。
「怒ってたら一緒に叱られたらいい」
「やっぱ・・・。戻りたくないかも・・・」
頭上に落ちるであろう大雷を予測して亜由美が当麻の肩にしがみつく。
じゃぁ、と当麻が言う。
「このまま駆け落ちするか?」
「馬鹿なこと言わないでよっ。犯罪でしょうがっ。年考えてよっ」
「逮捕されたら一緒かもしれない」
それもいいかもな・・・。
物騒なことを当麻が呟く。
「やぁよ。犯罪者の許婚だなんて。当麻はノーベル物理化学賞を取るんだから」
なんだ、それ?と当麻が尋ねる。
「当麻はいつかきっとノーベル物理化学賞を取るの」
「いつ、決まったんだ?」
「たった、今」
亜由美が面白そうに言う。
「お前、俺の将来まで決めるなよ・・・」
当麻が苦笑いする。
だめ?、と亜由美が瞳をきらめかせて言う。
こんな瞳をされたら黙っていられない。
「・・・わかった。取ってやるよ。そのかわり、うんと大変だからな」
うん、とうれしそうに亜由美が頷く。
俺はいつからこんなに色ボケしてしまったんだか・・・。
心中で苦笑する。
思いながら、当麻は腕の中の亜由美の口にそっと口付する。
亜由美がうろたえる。
「ごちそうさま。お前のファーストキス、いただき」
セカンドもいただこうか、と顔を寄せる当麻をパチンとひっぱたく。
「すけべっ」
いてぇな、と言う当麻の顔は笑っていた。
亜由美も思わず笑う。
そんな二人を皆はあきれかえって迎えた。


ふっと亜由美は目を覚ます。
でもっていつものように片手で当麻を探す。
やっぱ、いない。
ここでいつもなら夢うつつをさまようところだが、今見た夢を取り逃がさないように反復しながらがばりと起きあがる。
それからばたばたと当麻が居眠りこいている部屋に駆け込む。
「当麻! グッドニュース!!」
ゆさゆさと当麻を揺さぶる。
「起きてって。起きてよー」
なんど起こそうがてこでも起きない。
こうなったら・・・。
息が出来なくなるほどキスしてやるっ。
亜由美は思いきり当麻の鼻をつまみながら、これでもかとキスをする。
当麻が息苦しさに目をさます。
だが、あいかわらず、焦点が定まっていない。
「もう、昼か・・・?」
「寝ぼけないでよっ。それよりグッドニュースなのっ」
あんまりにもうれしそうに叫ぶ亜由美に当麻が怪訝な顔をする。
「グッドって・・・できたのか?」
「んなわけないでしょーっ。避妊しててどーやってできるのっ」
ああ、結婚するとこうもあけすけになるのだろうか・・・と亜由美は少し悲しくなる。
じゃぁ、何?と当麻が尋ねる。
「ファーストキスがいつだったか判明したのっ」
何?!、当麻が亜由美の肩を掴む。
「いつ、どこで、どーやって!」
当麻にとって長年解けなかった謎が二つ。
いつ、ファーストキスしたか。
いつからこの最愛の妻を愛するようになったか。
覚えていなくていい、といわれたが、やはり気になる。
記憶があやふやなのは気に入らない。
それでなくてもしょっちゅう記憶がいじられているから。
ふふ、と亜由美が意地悪げに微笑う。
「教えてほしい?」
「当たり前だろうがっ」
だったら、と亜由美が言う。
「今日一日、デートして」
「・・・どこへ行けばいい?」
すぐにでも聞きたいところなのにこの新妻はなかなか話してくれないらしい。
「海遊館! ジンベイちゃんの特大ぬいぐるみ買って」
妻、というかもはや幼稚園児状態の新妻の姿に思わず笑みがこぼれる。
「わかった。ぬいぐみだろうがなんだろうが買ってやるから話を聞かせてくれ」
あとでね、と亜由美は笑って部屋を後にする。
かなり話を省略しないといけないが、当麻の長年の悩みを解決できるのなら大した事ではない。
どう話そうか、と亜由美は考え込む。
「話せ」
当麻が後を追う。
二人して家中を追いかけっこして回る。
「お前ら、朝から何してるんだ?」
早朝帰宅した当麻の父親があっけにとられて見ていた。









2017/3/28 いやー。大学生活思い出すわー。生協まわしもの当麻。食にうるさそうな感じです。 でも家庭料理は別らしい。便利な夫です。失敗しても食べる。納豆さえあれば食べる。