大西洋の大きな海の中にその国はあった。小さな島が二つ。専用の飛行機で見下ろしたその島は深い緑に覆われた不思議な島だった。
パルヴァール。夏音という沙羅が演じる孫娘のふるさと。それがその国の名前だった。夏音という少女には一度会って置いた。いつまでも眠り続けるお姫様。眠りの森の美女さながらにその少女は眠っていた。いつ目が覚めるともわからない。そして永遠に目が覚めないかも知れない。自分にそっくりな少女に沙羅は何かを共有したように思えた。
空港を出て迎えの車に乗る。
ついたところは白亜の宮殿だった。見る町並みもすべて白い壁に覆われた街だった。
宮殿は広くそこに一極集中して政治の中心も何もかも在るようだった。古風な壁にぐるりと囲まれその中にもう一つ街があるようだった。実際、宮殿内で使用される物品をその街の中でつくり、学校も商店もそこにあるのだからまるで中世の城のようだった。
沙羅はまず自分の部屋に案内されると荷物を整理した。ここには自分の素性を分からせるものは一切持ってきていない。あくまでも夏音として過ごすのだから。ただ、ひとつだけ、小さなロケットの中に当夜の写真を忍ばせて置いた。
心の支えはいつも彼だったから。その当の本人はあきれかえって愛想を尽かしているかも知れなかったが。ふいに胸にちくりと痛みが走ったが沙羅はすぐに忘れようとして作業に取りかかった。荷物はごくわずかだったためすぐに終わった。
部屋で外の景色を眺めていると、とはいっても大きな白い壁に阻まれていい景色とは言えなかったが、侍女らしき女性と大使がやってきた。
「彼女があなたの身の回りの世話をします。もちろん日本語を話せます。用事がなければさっそく王にお会い下さい。王は何時間も前から楽しみになさっていたのですよ」
にこやかな大使が言う。沙羅は別段することもなかったので大使の後に付いていった。自分の部屋からそう遠くはないところに王の部屋があった。
というよりも自分と王の私室が一番奥まった所にあるようだった。
王の孫娘の帰還は城内以外には漏れていない。箝口令がひかれていた。
それでも病にふせがちな老王の存在は宮殿内を不安に陥れているようだった。
何重もの厳戒態勢の警備を通り過ぎて王の私室にたどり着く。
ベッドにふせっているはずの王はテラス近くの籐椅子に腰掛けて待っていた。
「あの・・・はじめまして。夏音です。王様」
沙羅が覚えたての宮殿風のおじぎをして王の前で挨拶すると王は立ち上がり園手を取ったかと思うと沙羅を抱きしめた。
沙羅は王が写真で見たよりも老けているのに気づいて驚く。
祖父の征士達が若く見えるからだろうか? だが、老いたその風貌に沙羅は思わず同情してしまった。こんな風になるまで体にむち打って苦しんできたのだ。私で楽になれることがあるのなら喜んでそうしよう。そう思わせる老王の姿だった。
王は夏音と名前を繰り返し呼びながら声を震わせている。
大使がそっと出ていくと老王は沙羅を抱きしめていた腕を放して再び籐椅子に座った。そして近くの籐椅子を指し示す。彼の頬は涙に濡れていた。
「カノン。待っていた。私、日本語一生懸命覚えた。お前の顔が見れて嬉しい。アフェラには会えないがお前に会えて本当に嬉しい」
にこにことさながらサンタクロースのような風貌の王に言われ沙羅は微笑んだ。
「おじいちゃま、と呼んでいいですか?」
沙羅が勇気を出して尋ねると王は嬉しそうにうなずく。
「おじいちゃま。私も夏音も会えて嬉しいです。母からおじいちゃまはずっと前に死んでしまったと聞かされていましたから。でも母はおじいちゃまを愛していました。いつもおじいちゃまの事を聞かされて育ってきました。本当に会えてうれしいです」
夏音の家庭を思いながら沙羅は話す。母親のアフェラは夏音にこの国のことをたくさん話していたという。愛する人を見つけて共にあってもふるさとのことは何ものにも代え難かったに違いない。そして。その父親のことも。
切ない思いがこみ上げて涙がにじむ。
「おお。カノン。泣かないで。せっかくの再会、涙は不用」
不器用な日本語で王は沙羅をなぐさめる。その声がよりいっそう愛おしく思えて沙羅は泣き出してしまう。
本当の夏音もどんなにか会いたいだろうか。
王は立ち上がると再び沙羅を抱きしめる。
しばらく泣いていた沙羅だったがこれでは立場が逆転していると思い直して涙を引っ込める。
「大丈夫。おじいちゃま。これからはお母さんの代わりに夏音が側にいるから早く元気になってね」
涙で濡れた瞳で沙羅は王を見上げる。
王はそっと涙をぬぐいながら微笑む。
「わかった。お前の望み通りに元気になって見せよう。長生きをしたい」
嬉しそうな王の顔を見て沙羅はにっこりと笑った。
「そうよ。おじいちゃま。夏音のためにも長生きしてくれなきゃ」
沙羅は演じていることも忘れて王に語りかけた。
眠り続けているお姫様のためにも。
いつか本当の再会が出きるようになるためにも今は自分が側にいて勇気づける必要があるのだ。がんばろう。沙羅は心に強く思った。
その夜。内々で祝いの夕食が行われた。
大使と王と亡き王弟夫人のタリナ、その息子のナル。そして沙羅のごく少数で行われた。上機嫌の王は陽気に話し、それを沙羅に通訳しては楽しんでいた。王弟夫人は厳しそうな視線を沙羅に向けてきた。何か敵意を感じさせる視線だ。
それもそうだろう。沙羅がいなければ王位を継ぐのは息子のナルだったからだ。
そのナルは頼りなさそうな顔をしている。美形には違いないがあまりよい目をしていない。どこかずるがしこそうな目をしている。王のたった二人の親戚がこれでは先が思いやられる。沙羅はそっとため息をつく。
王もそれは知っているのだろう。沙羅にはこれでもかというほど心を砕いてくれるが、王弟夫人とその息子にはどこか距離を置いたところがあった。
「カノン。タリナは踊りの名手。いつかお前も習うと良い」
物思いに耽っていた沙羅ははっとして王の方に向き直った。言われてタリナの方を見るとどこか誇らしげな顔をしている。よほど自慢なのだろう。だが、その誇り高い顔にどこか人間味を見つけた気がして沙羅はほっとしていた。
悪いだけの人間ではないようだ。自分が緩衝剤になればきっといい家族になれる。そう思って自分の本当の家族に思いをはせる。沙羅の家族は沙羅をいつまでも待っていてくれるだろうか。戻ったときに受け容れてくれるだろうか。自分が変われなかったら。自分を見つけることが出来なかったらどうしたらいいのだろう。
また物思いに耽る沙羅を見て大使が助け船を出した。
「姫はお疲れのようです。今夜の所はそっとしてさしあげたらどうでしょうか?」
大使が言うと王は顔をほころばせうなずく。
沙羅は助かったと思いながら席を立つと王の側に近寄る。
そっとおやすみの抱擁を交わすつもりだったが音を立てるほどに頬にキスをされてびっくりすると同時に首筋まで真っ赤になる。
その王は沙羅がキスをするのを待っているようだ。
おずおずと沙羅は王に近づくとそっと頬にキスをする。
「おやすみなさい。おじいちゃま」
そう言って軽く抱きしめると大使に伴われて部屋を退出する。
「おやすみ!」
大きな声で沙羅の背中に声をかけた王の声を聞きながら沙羅はくすりを笑った。
沙羅の新しいおじいちゃまは本当のサンタクロースみたい。
大好きになれそう。
沙羅はそう思いながら部屋を後にした。
一日目はなんとかこなした。本当の嵐はこれからだ、沙羅は夢の中に落ちながらそう思った。

翌日から沙羅は祖父の元に通う。老王は沙羅に国の事を片言の日本語で話し、沙羅が日本語を教えながら話をする。時折こちらの言葉を教えてくれる。だいぶん調子の良いときは起きあがって車椅子で散歩したりする。
沙羅はセルウィンという青年に会った。王の側近だという。彼は流ちょうな日本語を話し、三人でピクニックのような事もした。ある時は大臣達に会うこともあった。王の政治の場に足を踏み入れるのも気が引けたが紹介したいと言うことで内密に会った。
不審そうな目を向ける者、そのまま嬉しそうな者、さまざまいてここには王位継承問題で揺れている宮殿内が見て取れた。これは自分の行動次第では夏音に不利な状況をもたらす。沙羅は気を引き締めたのだった。王が永い眠りにあるときは沙羅は宮殿の中をくまなく歩き回った。
孫娘の夏音が戻ってきたというのは国民には知らされていないものの宮殿内ではまかり通っていたからどこに行っても素直に通らせてくれた。まるで迷路のような大理石の宮殿を沙羅はひとつひとつかくれんぼをするように探検した。
そんなある時、侍女達がきゃいきゃい言っているのを耳にした。
沙羅は片言の英語とジェスチャーで尋ねた。
どうやら宮殿の学校に転校生が来たらしい。
詳しく聞いて沙羅は耳を疑った。
「IQ250?」
手で数字をつくって確かめる。
侍女達がうなずいて沙羅は駈けだした。
自分は学校には今行っていない。存在を知られるのを防ぐためもありセルウィンが家庭教師役を務めていた。
沙羅は学校が見える壁に近寄った。小さな窓があってそこから教室が丸見えなのだ。
向こうからこちらの存在に気づくことは滅多にない。
沙羅がじっと見ていると見慣れた頭を見つけた。
当夜だ!
声にならない。思いがあふれる。
会いたかった。どんなに会いたかったか。
沙羅がじっと見つめているとその頭がくるりと窓の方に向いた。
気づかれてしまったかしら?
沙羅はどきどきする。
当夜の反対を押し切って出てきたのに今更ごめんねとは都合が良すぎるかも知れない。
それでも淡い期待をのせて視線をそらさなかった。
二人の視線が一瞬出会った。
だが、本の一瞬の出来事だった。
当夜はついっと視線をずらすとまた違う方へ視線を向けた。
私たちはいつだってすぐにわかりあえた。
なのに、こんな他人みたいなのってなに?
沙羅は心の中で動揺した。
当夜に知らない人のように扱われることがこれほど衝撃的だとは思わなかった。
確かに、自分は今夏音で沙羅ではない。彼のとった行動は正しいかも知れない。
だが、二人に分かるような視線の交わし方もあったはずだ。
当夜は私をいない人間のように扱っている。
そこにいるのにまるで空気のように見えない存在のように。
沙羅は駈けだした。
冷たい月のような当夜の視線には耐えられなかった。
怖かった。
戻っていっても当夜には二度と近づけないような気がして。
部屋に戻ると沙羅は失ったものを思い出して泣きじゃくった。
迷宮は宮殿だけではなかった。沙羅の心の中も嵐のように迷宮が現れ始めていた。





つい先日広い空シリーズ完結しました。次のあゆの物語をどうしようかと考え中。 当麻君ラブ過ぎて書きたいけどまた転生??となり過去の卑弥呼とかやろうかなとか。 実は設定上卑弥呼もあゆだったんです。従者が当麻で。でも考古学し直さないといけないので無理。 日本帰ってきてからでは年取りすぎるし。他のメンバーもどうなるかわからないし。 とりあえず少しずつ掲載です。お待ちください。